なんで理系だの文系だのとわけられるんだろう?

昨日の記事でも読んでて思ったのは、今の大学生でさえ、論理的にものを考えられるから理系だとかそうでないから文系だとか思ってるらしいことが興味深かった。高校あたりでどういう分け方されてんでしょうか。単に教科で分けてるだけならいいんだけど、人間のものの考え方を分けちゃってるんだから。おかしいよ、それは。


自然科学志望の人だって、詩の一つくらい憶えて感動する心がなきゃやってられないし、発見もないんじゃないの?というか、たとえ話でいうなら「この詩はええなあ」と思えるかどうかは学問以前の問題のはずなんだけど。


逆に、詩を解釈しようと思ったら、論理的でなきゃ無理ですわな。小説でも、芝居でも、論理的でなきゃ咀嚼できない。筋が通らんから分からんもんは分からんという理屈もあるし、そこをあえて飛躍して飲み込んじゃう理屈の使い方もあるし。


で、例によって嫌味を言うと、「自分は論理的に考えられる」と信じている「理系」の人たちの「論理性」が相当怪しいと僕は思ってるわけだ。一体どういう意味で「論理性」という言葉を使ってるんだろうか?


論理性は大事には違いないけど、ことさらに「論理性」を強調することでかえって自分たちの首を絞めているように見えるんだが。どうだろね。


ならなおのこと、どういうものの考え方をする人間かをはかる基準として理系・文系と分ける必要はないんだわな。そういう腑わけをして、自分は理系だとか文系だとかレッテルをはることはないのにねえ。