ああ、こりゃダメだ

科学的でなくても証明はできる: Love&Thanks
http://b.hatena.ne.jp/entry/hado-life.cocolog-nifty.com/lovethanks/2008/12/post-84fe.html
たぶん、この場合の「証明」ってたとえば「霊は存在する」「生まれ変わりはある」という命題は正しいということなんだろうけど、そりゃー「状況証拠はこうだから、たぶんこうだ」とか「あるもんはある」と言っちゃえば、科学的である必要はありませんわね。「科学的証明」をしたけりゃすればいいけど、もしそれで証明できちゃったら、こんなに面白いことはないなあと思うねえ。無理だろうけど。


で、一番笑えるのは、そのわりに幽霊を「科学的」に説明しようと一生懸命に努力してんだよね、この人。
霊についての疑問と仮説 ( 幽霊、心霊 ) - 気まぐれ日記・心と体と運の関係 - Yahoo!ブログ
幽霊とは「磁性を持った波動的なエネルギーを持つ粒子の揺らぎの場」なんだそうで訳が分からんのだが、しかしこういう説明をしたがるってことは、それだけ科学を信じてる、あるいは科学っぽく見せかけてやれば多くの人は納得すると思ってんでしょうな。本人もたぶん納得してんでしょ、これで。


でも、これじゃあ「否定派」と同じ土俵に立っちゃってる。作戦としてまずいわな。やるなら、無条件に、霊はいるんだ、いるに決まっているというところから立論しなければならん。なぜなら、霊の存在は経験が証明するところであって、いちいち科学的に検証する必要なぞ微塵もない、と言ってやるのがいい。他のエントリでも「否定派」をいかに論破するか、意味不明の理屈をこねくり回してるけど、そんな必要ないわな。


いや、「否定派」だって問題がないわけではないんだよ。たとえば立命館の安斎先生の「霊はあるか」(これ)で仏教界にアンケートを取ってるけど、仏教の公式見解としては死んだらそれっきりなのは当たり前じゃないのかいな(輪廻転生は幽霊とはちと違うでしょう?)。これを神社さんに聞いたら、返答の仕方が変わってくるかもしれんぞと思ったんだけど、どうだろ?神社がたくさんある京都の大学なんだから、いくらでも質問できたはずなんだ。


個人的には、孔子様にならって怪力乱神は語らないのがいいと思っています。肯定もしない、否定もしない。面白がって見てるだけ。