これならまだまし「ニセ科学『対策』」
ニセ科学を批判し、対策する。 - みつどん曇天日記
ニセ科学「対策」と呼ぼうというんだけど、これならまだいいね。
1、目的に合致している。
批判自体が目的の方は、いても極少数派でしょう。
ごもっとも。
2、「ニセ」が社会規範に反しているのは明らか。批判するのは当然で括りに意味が無い。
ニセ*批判は、いわゆる腹痛痛い、と言う事。
これが微妙なのは言ってきている通り。社会規範に反してるならば、科学が社会に対してできることは、その言説がいかに間違っているか、科学としていかに認められないかを説明するところまで、すなわち「批判」までであって、そこから先は反ニセ科学団体でも作って活動してくださいというのが僕の意見。
そこまでやればご立派だけど、どうせやらないんでしょ。今みたいに、社会規範に反しているからと言って自己正当化させ続けて終わるんだろうし。それに社会規範の中身の問題や、社会規範を正義の御旗にして自己正当化することも危険なんだけども。まあいいけどね。
(追記:社会規範の話は大事な気がしています。「ニセ」が社会規範に反してるのは明らかだから批判するのは当然だってのはかなり乱暴だと思う。ひとつは「ニセ」と言ってもいろいろあって、クレジットカードの偽造はいかんけども、ニセの骨董品は批判するほどのもんでもない。二つ目はこの場合の批判ってどういうことかという、お決まりの疑問。批判どまりか、排除せんとするか。
簡単な話、大学にゃ「ニセ」学者なんてごまんといるはずで、その人たちはみな社会規範に反しているから批判されるのが当然で、ニセ科学が社会に害を与えるのと同様、「ニセ」学者も社会にとっての害だから徹底排除せんとする。。。批判はしても、普通は共存しますわな。仕方ないなって。社会規範論がいかに危険かってそういうことで、事と次第によっては自分たちの方に刃を向けかねないと思うんだけどね。そんな自明な議論でないはずですよ)
3、無用な批判を呼び込まない。
批判行為それ自体を快く思わない方の琴線に触れます。
よく分からない。
4、(1に関連して)活動の意義をアピールできる。
「ああ、ニセ科学に対策してるのね」とすぐにわかります。
これはそうです。分かりやすい。
5、党派性を勘ぐられない。
「対策」はより具体的な行動なので、個別の十一人各自が独自に行っていると説明しやすい。
逆。むしろ党派性がさらに明瞭になる。
具体的かつ個別的な活動としてニセ科学「対策」なんぞができるのは、時間も金も使える、非常に限られた人だけです(仮に「活動家」と名付けましょうか)。それ以外の大勢は、寄付でもするか賛成と声を上げるかしかないんだが、つまり活動家だのみになるほかない。そうするとますます党派性は明瞭になる。
ちなみに、「勘ぐられる」という言い方はよろしくないです。ただ今現在でもニセ科学批判の党派性はあるんだから。
6、(3に関連して?)なんか、語感が良い。
良い。それに批判された時、「批判」の文字を一つ少なくできます。例:ニセ科学対策批判批判。
それはそう。
そういうわけで、おおむね理解できるんだけど、ただこうなると「活動家」に価するのはいったい誰だろう。。。ということになるんですな。ネットでうだうだ言ってるのなんてのは活動家じゃありませんよ。ちゃんと社会に反映させる活動をして力を持つ、そのためにきちんと組織を作って動かす。それをしないと意味がない。黒影さんがいうように、「リンクとともに一言コメントを追加するだけでも、十分意味のある行動」だというのを決して全否定するわけじゃないけど、実際のところはほとんど意味がありません。ニセ科学批判はただの自己満足ではないというのであれば。
ついでながら、天羽先生の「http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagaku-teigi」はただの詭弁だよ。「ニセ科学批判」という言葉に実体がないって、自分たちがさんざん使ってきたくせに、今更なにをゆーとんねんと。他人に定義しろ定義しろってんなら、まずご自分が定義なさったらどうですかと、この辺がニセ科学批判の人と議論するときの非常にずるいところなんですよ。
僕は、ニセ科学批判の人がWikipediaにもまとめWikiにもまとめてるからそれを参考にしたりしたけど。さあ、こうなるといったいどうすればいいのでしょうかね。
だいたい、ニセ科学批判批判のはしごを外そうとしたい天羽先生の気持ちは分かったけど、それで得るところがなかったとか開き直られても。むしろ、ニセ科学批判はなんか変だという人がいるからこそ、その開き直りができたはずでしょう?どこが「合理性を重んずる」なんだか。これだから、天羽先生を持ち上げるニセ科学批判はダメだというんだけど、それはともかく。
ま、もしもニセ科学「対策」にするんだったら、そのほうがはっきりはしますよ。
ニセ科学批判がうっとうしく見られる背景には、その言説がなかなか現実に反映しないからだと僕は思ってんです。それでストレスがたまって、言葉だけがどんどんエスカレートする。それってエネルギーを流す経路が違うんじゃありませんかね、と。
そういう意味もあって、ニセ科学「対策」とはっきりさせることには賛成するんです。現実に働きかけようとする人だけでまとまってもらって、それでネット上でうまく住み分けられるようになりゃいいんだから。
ただ、いくら名前が変わっても、住み分けに失敗したら、結局同じことですよ。科学を正義の御旗にバカを見下して喜ぶ、ネット右翼かそれ以下の賢くてアホな人たちやなあっていつまでも言われ続けることになります。
まあ、失敗しそうな気がしますけどね。正直言って。