態度の問題
態度が悪いだけのことで何が悪いんだって話は、小さな問題じゃないんです。
かつて、ネット右翼の何が悪かったのかというと、中身もさることながら、態度のほうがむしろ問題だった。意見を変えさせようと誹謗中傷、ブログの炎上騒ぎ。こういうことが問題視された。一応言論の自由がありますからね。中身が無茶で批判はできても、存在まで否定することはできない。
で、こういう態度を正当化させていたのは何なのだろうかと。
それは、彼らなりに「自分たちは正しい」「間違いを間違いと言って何が悪い」と割り切っていたからなんですよ。彼らの場合、たまたま政治マターでプロがいますから煽られた人たちが多くいた。だから、問題として目立った。
ネットの世界で怖いのは(リアルの世界のほうが恐ろしいんですが)、自分の正しさを表に出すことなんだ。あ、いや、自分が正しいと確信することは、なにも構いませんよ。だれだってそうだ。だけど、それを表に出して徒党を組んで「自分たちは正しい」「間違いは間違いと言って何が悪い」と開き直られると、とたんに次元が変わる。
ネットにおける態度の問題って、そういうことなんだと思います。
で、ニセ科学批判のばあい、ネット右翼より問題なのは、表面上、名目上、科学なり合理性論理性を建前にしていて、自らの正しさを正義の旗印にしやすい。これが問題なんだ。だって、正しいだけ自己正当化するし、それだけ極端に走って悪循環に陥る。事実、そうなってるのは今まで言ってきたところ。
ニセ科学批判は現代の魔女狩り、いやネトウヨ、新興カルト、原理主義?だそうです。行動がアホだそうです。一方、反対側では今日もニセ科学が人を殺しています。エイズは感染症じゃないと言って。抗ガン剤や骨髄移植は虐待以外の何者でもないと言って。ワクチンは諸悪の根元だと言って。
なんて言えばいいんでしょう? 最低のクズは最低のクズ以外のどの言葉で表しても嘘になりますが、私は、嘘をつくべきなんでしょうか。淡々と論点をずらしてクールに返答すべきなんでしょうか。
ニセ科学批判が取れる態度は二つあると思いますよ。
一つは、もしそこまで深刻な問題だと本気で考えるならば、具体的にリアルを動かすために行動することです。まずなにより、個々人が金を出す。そうして組織していく。さらに、ニセ科学を普及せんとする団体に、堂々と意見をする、質問する、回答を求める、そして宣伝をする。
ネットは、リアルの活動を拡大するための意見集約装置・運動増幅装置と割り切って、活用する。(このあたり、菊池先生は上手に利用されたなと思うんだけど)
二つ目。そうしないんだったら、日頃言ってる「被害の予防」とか「人が死んでいる」なんてもっともらしい大義名分はウソ、本気になってないいい証拠。もしネットで騒いでリアルが動くと本当に考えてるんだとしたら、相当におめでたい。
つまり本気でない名目を掲げて自己正当化して煽ることでネットで遊んでるだけ。なら、ただの憂さ晴らしであることを素直に認めて、
しょせんブログなんて暇を持て余した凡人たちの遊びにすぎないのだから。それでも私は真面目にやってます、という人はいるかもしれないが、<真面目に>遊びをやってるだけなのだから偉そうにしないでくれ。
科学的・合理的精神をより普及せしめることによって社会を是正しなけりゃならん - blupyの日記
ってことですよ。ネットだって侮れないとか、んなこと言って正当化してないで。ようは素直におなんなさいってこと。話は至極単純なんだ。
(雑談)
血液型で人を判断する事は、肌や人種で判断する事と何ら変わりありません。こんな前近代の光景が、現代のこの国で現実として存在しています。
あたしゃ顔でも服装でもなんでも外見で人を判断するよ。ある程度は。だけど差別はしない。差別するから問題なんでしょう。実害ってそういうことなんだもの。
血液型性格判断って人種差別とか性差別とか、同じ次元で並べられる話だと本気で思ってんの?「前近代の光景」なんて言っちゃって本当にいいの?ってか、たとえば人種差別の歴史と血液型性格判断と同列に並べて、ちょっと申し訳なく思ったりしないの?
この文章の文脈における「判断」っていわゆる「差別」と同義でしょう。本気でそう思ってんの?
もちっと素直になろうよってそういうこと。血液型性格判断なんて、たいした問題じゃないじゃないの。所詮は。
それともなに。僕みたいに吹いてる自覚でもあるんだろうかね。それならいいよ。今までの議論は全てなし。ホラ吹き同士、酒でも飲もうじゃないか。