今のニセ科学批判に潜んでいるトンデモさ

ニセ科学を批判すること、間違いを間違いだというだけなら、僕は賛成だし有用なことだと思う。学者さんなら学問の世界なりお役所に掛け合うなりで、がんばってくださいって、それだけの話。僕も気をつけますと。そして面白いネタがあれば笑うだろう。


今のニセ科学批判ってその限界を超えてるのではという疑問から首を突っ込んだわけですが、まさか過激思想を吹く大先生がいるとは予想していなかった。ネット右翼化の根っこはこれだ。もちろん程度の差は各々であるでしょうが、本音を全部代弁してくれてるので明瞭。


池内先生が BSE問題で無茶を言っているのも、そういう考え方の人だからだ。反米で吹いてたという話もちらっと見たが、そうなるとこの問題で歯切れが悪い理由も明らかで、所詮ニセ科学批判なんてそんなものなわけだ。そして大先生もほかの先生も同じ穴にいるんだから、結局、ニセ科学批判自体がもともとその程度のものだってことになる。語り手の意図で容易に歪むんだから。


となると、「優先順位問題」ってのも考え直す必要が出てくる。選択されたネタがかなり政治的である可能性があって、個人がやりたいものをやってるって話では終わりそうにない。もう面倒なので、僕は付き合いませんけど。


いやあ、ものすごく「価値中立」的ですよね。ニセ科学批判って。


そうでなくても、こういう一言がパッと出るあたりが、非常に問題じゃないのか。

善を成そうとして悲劇が起こることはままある。騙されて、あるいは単純な思い込みによって死ぬのよりマシだと思うけど。
ニセ科学批判が成し遂げるもの - novtan別館

あっけらかんと科学それ自体を信頼してしまうって、ニセ科学にだまされる人と同じだ。


ニセ科学で騙されて死んだ人は、原爆で死んだ人より不幸なんだろうか。ウォール街ですってんてんになった人より気の毒なんだろうか。と考えたら、「単純な思い込みによって死ぬのよりまし」などと言えるはずがない。ニセ科学を勧める人だって善を成そうとしてるんだし、それでもなお、科学の善意と優位を信じるから宗教じみてると言われるのではないか。


。。。とまあ、ニセ科学批判の思想には相当の疑問符がつく。


菊池先生はすごくいいことを「ニセ科学入門」で言っておられるんです。

 一方、ニセ科学はどうか。プラスは悪く、マイナスはよいだとか、A型は几帳面だとか、+21は腎臓に最高だとか、とにかく小気味よくものごとに白黒をつけてくれる。この思い切りのよさは、決して本当の科学には期待できないものであるが、しかしそれこそが科学に期待されるものなのに違いない。
ニセ科学入門

いまやニセ科学批判そのものが「小気味よくものごとに白黒をつけてくれる」ものとして受容されているように見える。残念なことだけども。


今のニセ科学批判には批判されるべきものがかなりある。できることなら身内からもっと批判された方がいいと思うが、良心的な学者さんほど声が小さいというか、紳士なようですね。素人はよく見極める必要がありましょうな。のせられている人が多いもの。


とりあえず、ネタとして笑うのはいいけど正しさを笠に着るのはやめる、間違いを間違いと指摘するだけの原点に返ることを、僕は望む。