ファシズムの勉強はきりがないので一旦中断して、その後のレジスタンスの勉強を始めたが、これも考えさせられる話がいくつもある。

1943年7月にファシズム政権が転覆し、ムッソリーニが引きずり降ろされ、連合国とも休戦したが、9月にはドイツがムッソリーニを奪還し、北イタリアにナチス・ドイツの傀儡となる、いわゆる「サロ共和国」が成立する。と同時に、ドイツ軍も南下した。これに抵抗したのが「レジスタンス」だ。

普通「レジスタンス」というと、武装した人たちが山にこもってゲリラ戦を展開する、というもので、実際そうだったわけだけれども、他方であまり大きく取り上げられない抵抗の形というものがあった。

たとえば、ドイツに連行された、イタリア軍の元兵士や元将校たちの態度がその一つだ。彼らの中には、積極的に、あるいは確かな政治的意識を持って、何らかの抵抗をしたわけではなかったが、ナチスドイツやファシズムへの協力を拒んだ者が少なくなかった。

もちろん、収容所での過酷な環境に耐えきれず、やむなくナチスに協力する者も多数出てくる。

とはいえ、何万人という数字に表しきれない、血も涙もある人間として、非協力者たちの心中を想像すると、何とも言えない気持ちになる。

たとえば、ある収容所では、イタリア人の収容者に「ファシストでない者は挙手しろ」というと、全員が手を挙げたという逸話がある。もしも挙手したものが少なければ、彼らはそのままどこかに連れていかれて、どうにかなっていたろう。

ある将校は「やっと"No"と言えるようになったが、世界戦争をやらないといけなかった」と悔やむ言葉を吐いていたりする。軍隊だから、上官の言うことには何でも「はい」で答えねばならず、それが当たり前であったのに、というわけだ。

こうしたちょっとした話に、その人自身、またその人の内面が感じられて、やりきれない。

現在のイタリア共和国は、こういった人々の気持ちが礎になっている。

では、日本ではどうなのだろうか。日本の体制に抵抗した人はどういう扱いなのだろうか。

神風特攻隊の小説や映画がヒットし、感涙にむせび泣くのが当たり前になっている社会では、到底こういう逸話はまともに受け取られない。せいぜい「共産主義者」呼ばわりくらいしかされないのではないか。

もっとも、イタリアと日本では、第二次世界大戦の経過が違う。それはそうだが、それにしても、と私などは思ってしまう。