このところ、小選挙区制が悪いのだ、という議論が多い。小選挙区制のために、政治家が有権者に受けるようなことしか言わなくなって、政治家の質が落ちる、というようなものだ。

そういうこともあるのかもしれないが、本当だろうか。そうであれば、小選挙区制をとっている国はみな日本と同じようになっているはずだ。最新の溜池通信によると、ニュージーランドは日本の選挙制度と似ているそうだが、それで政治家の質が落ちたというような議論があるとは思えない。(参考PDF

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そうではなくて、日本の有権者の質の問題、意識の問題があるだろう。政治家が甘いことを言うと、それをうかうか信じるアホが多い、という話なのではないか。

そもそも日本でポピュリズム批判というのはあまり見なかった。今でもそんなにないと思う。強いて言えば、今回の総選挙で小池百合子が大きく出てきて、安倍内閣の脅威とされ、それでようやくポピュリズム批判が出てきたにすぎない。

そんなことでいいわけがない。なにより、安倍内閣自身のポピュリズムを棚に上げて何を言うか、という話だ。

ポピュリズム批判ができなかった理由はおそらく、冷戦時代のような自民党支配を打倒する民衆の声、という構図をとる限り、世論や有権者を批判対象にすることが難しくなったことにあるのだろう。

もちろん、世論をくみ上げないと民主主義にならないわけだけれども、世論の言いなりになるのが政治ではない。職業政治家が共同体全体のバランスをにらみながら、あれを取り、これを捨てという判断をしないといけない。それができる人たちが形成されないといけない。

その両者の天秤があって初めて、ある共同体なり、一つの国なりの政治ができるんだと思う。

ところが、日本の場合はその天秤の片方が現在では抜け落ちる形になってしまっていて、かつそれが大いに是認されているので、これではポピュリズム批判なぞする土壌がそもそもない。

そこで小選挙区制が悪いという議論をするのは、単に制度に責めを負わせているだけで、俗耳に入りやすいことを言って逃げているだけに見える。

それではいけないのではないか。