扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part38

私のエントリをhamachan先生が取り上げたみたいなんですが。
扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part37 - 今日の雑談
皮肉も極まってるよ、ホント: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

まあ、皮肉も極まっている、というのはその通りですが、しかし人類の歴史なんて、「正義で発狂する」「感情やイデオロギーによって盲目になることへの警告」で始まったはずの理性的な思想が、いつのまにかミイラ取りが大ミイラになって、「正義をブチ上げてそれに前のめりになっておかしくなっていく」ことの繰り返しだったと言えないこともないわけで。


いかなる思想にせよ、自省能力を欠いた人々の手に落ちた瞬間から、そういう劣化(ご本人たちからすれば「純化」)が進行していくわけです。おおこわ。

ホントにねえ。。。


リフレ派が問題なのは、リフレ論そのものはもともと「シバキアゲの正反対」であったために、リフレ派がすでに「感情やイデオロギーによって盲目にな」ってしまっているのにそのことに気がつかないまま釣られてしまう、あるいはリフレ論に賛同してさえいればリフレ派の発狂ぶりに目を瞑ってもいい、という錯覚を生んじゃってることだと思いますね。


ほんと、つらいんですよ。ごくごく真っ当な人でリフレに期待をかけてる人ってそこそこいると思うんだけど、肝心のリフレ派の学者たちはその期待にこたえる気が全くないわけで、いや、本当に、見てるとつらいんだ。


しかも、反原発運動などの「盲目」ぶりは批判できるのに、ブチ上げた正義で発狂する人たちのことを批判的に見られるのに、いまやリフレ論のほうが正義で発狂していることが分からなかったりする。いや、それこそミイラ取りがミイラだよって。。。


。。。今さらというか改めてだけど、「リフレ」の看板に偽りが大ありだということに、リフレ派にどっぷりつかっている人たちはともかく、そうでないごくごく普通の当たり前の人たちにもっともっと気がついてもらいたいところ。


リフレ論に賛同しているだけで、リフレ派じゃない云々というのは、なんの理由にも言いわけにもならないんだ。