扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part37
まとまっては特にないんだけども。つぶやき方式で。
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高橋洋一の妄言に金融業の人らが突っ込み入れてますがね。
私は思うんだが、高橋洋一の本を取り上げて持ち上げた人たちは、今なんと思ってんのか聞いてみたい気はするね。日銀だの財務省だの官僚だの以前に、まずお前たちがいろいろ無責任なんだよ。
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ある正義をブチ上げてそれに前のめりになっておかしくなっていくのはおおよそどの政治運動でも似たようなもんで、今の脱原発反原発運動はもうそうなっちゃってんでしょうがね(「今の」としているのは、真面目に取り組んできてこられた立派な人もおられるに相違ないからね)。
もちろん、リフレ派も同じようになってしまっていて、「リフレ論」そのものが正義になって、だから日銀や財務官僚を叩いてりゃいいんだみたいな話に乗れるわけだけど、ところがですね。
ところが、元来はリフレ論そのものはいわゆる「シバキアゲ」とされるようなものとは反対のはずであって、そういう正義で発狂する、みたいなものと対極にあるもののはずだった。そのへんは、銅鑼衣紋さんが書いておられたのでこの点に関しては理解できる。
http://anond.hatelabo.jp/20100820200245
21: ドラエモン 2009/06/03(Wed) 23:22 id:FVI/6pSxncJq [ va4qsJNk0c ]
つうかねぇ、リフレ政策を構造改革やら清算主義などが猖獗を極める中で提唱した
理由は、感情やイデオロギーによって盲目になることへの警告だったわけよ。もし
政治的に成功することそれ自体が至上命題なら、変な政策が軒並み失敗して万策
尽きてしまい、国民が塗炭の苦しみにのたうつまで待てばよいのであって、なにも
不人気なことを言うことはないでしょう。
それなのに、今度は自分の主張を通すため人を盲目にするのではねぇ。
皮肉なことにそれに気がつかない人が結構いて、脱原発派に渋い顔をしながら、リフレは違うと信じている人だっているんだよ・・・
皮肉も極まってるよ、ホント。