ネット○○派 part343

ネット○○派 part342 - 今日の雑談

リフレ派にしてもニセ科学批判にしても、単なるねらーが個人的に吹いてるとか、大学の先生が個人的にやってるだけなら、まあいいんですよ。それは個人の自由だから。


それが集団になったときに話が変わってしまって、集団の力で議論を通すみたいなことになりやすい。もっと俗に言えば、ネット上の有名人の煽りに烏合の衆が騒いで、そこで醸成された空気に乗っかる人が出てくるだけになって、議論にならない。


で、本当にそれでいいのかということは、少なくともネットに限って、ちょっと一歩立ち止まって考えた方がいいよ、とこのブログではずっと言い続けてる、ようなかたちになっている。

ネットの議論って結局ほとんどこれで、議論に合理性があるとか、「正しい」とかで有利になるんじゃなくて、オーディエンスに訴えかけて多数派を形成した方が強い、みたいな部分がありすぎる。


たとえば、ネット右翼の言説に賛成か反対かと言えばたぶん賛成する人はそういないと思うけれども、ネット右翼もその中心にいた「人権擁護法案反対運動」になると話が一転して、彼らが主張した根拠があるのかないのか分からない「危険性」に煽られ流されてしまい、「人権擁護法」の類に賛成するのを根拠なく(なんとなく)躊躇する、という話になる。


では、人権擁護法に反対する合理的な根拠はあるかというと、あまりない。少なくとも反対の根拠になってそうなものに合理性はないはずだと思う。


合理性のある反対根拠もあるんでしょうが、「反対運動」になるとそういう議論ってできない。

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ニセ科学批判は主張が「正しい」からいいじゃないか、という話には必ずしもならなくて、しつこく書き続けてきたように、「ホメオパシー批判」で「ホメオパシーに科学的根拠はない」という主張は正しいとしても、「だからホメオパシーは、、、」という議論が正しいかどうかは必ずしもはっきりしない。


しかも、ニセ科学批判の科学的正誤の問題と世間の道徳の問題を重ね合わせて絶対に負けない理屈を作っているんだとか、ホメオパシーはダメで漢方鍼はいい、ゲーム脳はダメで脳トレはいいといったダブルスタンダードなどを問題視する人は非常に少数。


となると、なんとなくニセ科学批判は好意的に受容されているという空気で押し込んでるだけになっているんで、まともに議論が成立するとかそういうことでは決してない。

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こういった、ある種の政治性、あるいはネット上の徒党党派による運動は全部同じだと思うんだけれども、しかしどうやら疑問を書き続けてきた「ネット○○派」に恐らくとどまらない。


たぶん、どんな「ネタ」についても言える。

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さらに、ある「ネタ」について賛成反対、あるいはA案B案とあって、どの陣営につくかという点になると本当に合理的な理由があるのかどうかよく分からないにもかかわらず、「これが正しいに決まっている」「これはひどい」と簡単に言う。。。


。。。いや、自覚があってそういう反応をするならまだいい。僕もわりに簡単にそういう反応をするけれども、しかし所詮ネットではないか、いい加減で何が悪い、エゴイスティックで構わないという開き直りがどこかにあるつもりなんだが。


だけど、どうもネットを見ているとそうではなくて、「これが正しい」「これはひどい」を割にパッと信じている気配があって、ことの是非善悪を決するに空気に乗っかっているだけ、徒党にのっかってるだけだという自覚が、どうやら薄い。


その錯覚がどうも危うい。

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こうなると、自分の信じている「正しい」から、抑制や留保がとれる。


先日もTwitterで、「円を刷れば円安になる」「増税の前にデフレ脱却だというのがまだ分からないw」みたいなことを言っているオタクを見つけて、あーあと思った。


たぶん、リフレ派の言ってることをそのまま「正しい」とのっかっているだけで、なんで彼らの「正しい」が簡単に具体化されないかちょっと考えてみるとかいう話になってない。


こうなると、自分の「正しい」は明白に「正しい」んだから、「それをやらない政府も日銀も政治家も官僚もアホ」みたいな話になりやすいうえ、「これが分からないお前はアホ」みたいなことにもなる。


しかも、これはリフレ派に限ったことじゃない。


そのあたりの意識が薄いのは、どうも変だ。。。