ネット○○派 part325 「きくまこ教団」?

「きくまこ教団」という言葉を見たのでちょっと書いておくと、パッと第一印象で言うなら「そりゃ言いすぎ」。言いたいことは分かるけどね。


このブログで常に問題視しているのは、ある有名人がいて、その人を取り巻く多数の人々がいて、という部分で、ネット上のそういう人間関係が、ネット○○派となるための背景であったり、馴れ合いの土壌だったりする。無駄に議論するわりに仲間内での批判が効かなくなる。


しかも当のご本人たちに「あんたがたネット右翼とやってること同じだよ」と言うと怒るんだけれども、つまりそこで怒る(あるいは「怒った」)のは、彼らにその自覚が全くない(なかった)ということだった。馴れ合ってダベってるだけだという自覚がない。


そのうえで、ニセ科学批判の問題の一つは、これも何度も書いているけれども、それを率いる人たちがおそらく専門ではまともだったり、それなりの肩書を持っている人たちによる活動であって、しかも見た目が「科学」だから、無駄に信用されやすい、無駄に釣られやすいようにできているところにある。やってることが「ニセ科学」と同じなんだけれども、ニセ科学批判の先生たちのほうが信用されるのももっともなんだから余計にたちが悪い。

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「教団」というレッテルをもし使うとしたら、有名人の周りで「教団化」している状況なんていくらでも見られると思う。なにもニセ科学批判に限ったことじゃない。


もっとも、この種の人間関係ができあがってしまうと、だいたい気持ち悪がられたり敬遠されたりするもので、実際リフレ派はとうにそうなってしまったんだけれども、ニセ科学批判の場合はそれが見掛け上科学ネタでありまた主導する人たちの信用という見かけそのもののために、ニセ科学批判のおかしいところや気持ち悪さが見えにくくなっている部分がある。


だから、はっきり言えばニセ科学批判に対する信用はもっと下げられた方がよいとは思っている。もうちょっというと、うっかり支持しちゃってる人はともかく、ニセ科学批判を明確に支持してそこであれこれだべってる人たちに対しては、他のネット○○派の人の話を読むときと同じように、そういう人なんだという色眼鏡を持っていた方がいいんだろうと思う。


ネチネチとニセ科学批判の悪口を書いている理由はそこにあって、ニセ科学批判はまだまだ好意的にとらえられすぎていると思わざるを得ないというあたりで、もうまったくすっきりしない。


だけど、そこで「きくまこ教団」というレッテルが効くかどうか。。。言いたいことは分かる。でも、たぶん、このレッテルはピンポイントに言いすぎてしまっているのではないのかな、と。もうちょっと幅の広い問題なのではと思う。