ネット○○派 part264 馴れ合い

Twitterと、Twitterによって形成・促進される「クラスタ」に僕は相当批判的なんだけれども、まあ、ただ、利点らしいものをいえば、基本的に「クラスタ」でまとまっておいてくれて、他人と接触しなけりゃ、まあ個人の勝手でおさまる、ってことですか。


つまり、あるクラスタ内でなにかor誰かの批判なり文句なり言ってるのは個人の自由なんだから、こっちに接触してこなければ、まあ勝手にすれば、みたいなことになる。


ブログのコメント欄を炎上させてブログを潰すとか、はてブで叩く(あるいは叩いているつもりになっている)とかいうのに比べたら、まだ平和的かもしれない。というのも、結局ネットでは「クラスタ」ごとにまとまっておいてくれるのがもっとも確実に平和が保たれるだろうし、おそらくそれしか道がないと思っていたので。


ところがねえ。わざわざ検索して、異論に直接接触しようとするのがいる。しかも「有名人」が結構これをやる。


単にコミュニケーションを取ろうとする意図だけなら結構なんだけれども、この手の「有名人」は意識的にしろ無意識にしろ、万単位のフォロワーの受け・空気・イメージをそれなりに気にかけているものなんで、、、このへんはブログでも同じだな、、、つまり、単なる異論との接触を意味しない場合が多い。


「有名人」が自分への批判なり異論なりをリツイートしたり、あるいは接触を試みるというのは、自分の支持者をまとめて、「やっぱりそうですよね」と集団内の意見を固める作用を持つ。しかも、異論と積極的にコミュニケーションを試みる姿勢は賞賛されるものなので、「有名人」だけが得をする構図になりがちだ。ようは、外国に敵をつくって国内世論をまとめようとする政治家と同じ。相対的に弱い側はスケープゴートにさせられるだけ。


Twitterのこの種の手法を見ていてもっとうんざりするのは、「有名人」だけが悪いわけではないから。太鼓持ちをやったり、ヘラヘラお追従を言ったりする「支持者」や、「有名人」同士のかばいあいなどが、こういう醜い光景を助長する。


だったら、自分たちの支持者や読者の世界でまとまっておいてくれたほうがよほど平和なんだから、そうしておいてもらいたいと僕なんかはそう思う。結果、まともな議論はますますできなくなって、ネット○○派がしょっちゅうやってる「議論ごっこ」しかやらなくなるだろうが、それも仕方がないだろう。


正直、こういう「有名人」と「支持者」「一般人」の関係はもっと批判されてしかるべきだと思ってるんだが。。。そうなると、「クラスタ」内でとじこもってもらったほうがいいという考えに矛盾する気もするので、なかなか難しいところかもしれない。