「科学リテラシー」を云々することの無駄さ加減

武田邦彦がお父さんの立場として書いてる、みたいなことを言ったら、なら科学の立場じゃないじゃないかみたいなことを、一時期言われてたような記憶がある。この際細かいことはどうでもよい。(まあ、ニセ科学批判のほうが科学の立場をとっくに乗り越えてるのにお前らが言うなよ、みたいなことはさておきまして)。


先日、某所で、むしろ武田邦彦が、まさにお父さんの立場として、近所のおじさんの感覚で書いている、それがいいんだと言っている御仁を発見してしまい、本当に脱力した。。。というか、まあそんなものなのではないかと思っていたんだが、はっきり書かれると改めて脱力するね。


よろしいですか。


ここで、科学リテラシーを云々するのは、はっきり言えば簡単なんだ。分からないやつがバカだってことだから。


ところが、まさに、「分からないやつがバカ」とまでは言わんでも、「科学リテラシーを身につければ」という上から目線そのものが、その御仁には拒否反応を引き起こしているのであって、そこで反省がいるんですよ。


ようは、むしろそういう人にこそ本当に声を届けたいにもかかわらず、まともな自然科学者が全くと言っていいほど信頼されてないわけで、となるとあるいはこういう人のことは無視するか、あるいはそれでも何らかの声を届けるようにするか、です。


前者の場合は「科学リテラシー」を云々したって意味がない、もう手遅れなんだからあきらめるしか仕方がない。


後者の姿勢を取るならば、ま、やりようはあると思うんだけどな。でも、ダメだろうな。科学リテラシーを何とかすればと思ってる人がどうも多すぎるんだもの。。。