ネット○○派 part211 立場の相対性とネット言論(笑)

以前、こういうのを書いた。
ネット○○派 part178 必要なのはニセ科学批判の相対化 - 今日の雑談
ニセ科学批判という立場そのものは相対的なものであるにもかかわらず、科学をネタにして科学者や医者などの専門家の肩書きを持つ人たちが信用を与えてるので、だから見かけが科学の問題になってしまい、本来立場としては相対的であるはずが、あたかも絶対的に正しいものに見えやすくなっていて、それが問題の根っこのひとつなんだろう、と。


こういうことを書いた理由は、えてして科学と相対主義云々という話に逝ってしまって、そこで沈没するからなんだよね。


まず、科学の立場で出た答えをいろんな留保をつけた上で一応の正答とする、あるいはその正しさを尊重するという点について、疑問を呈する人ってよほどでない限りいないと思う。にもかかわらず、お前は科学的真理を相対的なもんだと言うのか、みたいな話になりがち。


そうではなくて、懐疑主義という立場、ましてニセ科学批判という立場そのものが絶対的なものであるはずもないということが、なんか見えにくくなってる。ニセ科学批判の立場そのものは相対的なもんだということをどこかで見失ってるから、だからホメオパシー批判であれだけできるわけだ。


しかも、現実は依然としてなにも変わらないのに、立場の絶対性だけが信奉されてしまいますます強化されるので、結局は言葉だけが先走ってしまう。


・・・で、これって、ニセ科学批判だけの問題じゃないのよな。

・・・

hijitsuzaiタグの人たちは自分たちの立場が「絶対」のものだとどっかで錯覚している。


もちろん、言葉としては規制賛成派とか中間派とか言ってるけれども、彼らの立場そのものは絶対的に正しいと信じている。だから、どんだけ言葉を尽くしても分かってくれないとか、自主規制は土下座を意味するがそんな土下座に意味はないと煽ったりとか、そういう話になってくる。


自分たちの立場そのものの相対性を見失っているから、「井の中の蛙」状態になってもっとやれもっとやれと。


その他大勢の人たちは、規制反対派の立場をそこまで信奉していない、つまり立場の絶対性を確信していないので、「あんたたち、そんなに興奮して何やってんのー」とヲチモードでまったり眺めているだけになる。

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結局、「ネット言論(笑)」がおかしくなるのって、自分たちの意見や立場の相対性がわからなくなって、自分たちは正しいと思い込むことに由来してるのよな。そういう部分がすごく大きい。


最近すこし流行っている、「マスコミが報じない」ネタも、自分(たち)が問題にしていることはこんなに重大事なのにそれを報じないマスコミは腐っていると、、、つまりは自分たちの問題意識は正しいんだと信じているから、簡単にこんなことが言えてしまう。


立場そのものは相対的であることを自覚した上で、ある立場を選択するというのはあるいは必要なことだから、それはいいんですよ。


でも、それが分からないままある立場を表明していると、どうしても自分の立場が絶対に正しいものとして他人に「俺の言うことを聞け」「これが分からないお前はバカ」って話になっちゃいますわね。


「ネット言論(笑)」って、そんな話ばっかり。