どうせ「予防接種」が大事というならば・・・

思想化するニセ科学批判 : 社会学玄論
異論ないですねえ。


ただ、社会運動なり政党なり、そういうことならきちんとした団体があって、、、というのが当たり前なんだ。外国の懐疑主義者団体でもそうやってるし。でもニセ科学批判はそれをしない。なぜなら、団体としてキチンとした体裁をとると、ま、運営が大変だというのもあるだろうけど、なによりわざと境界を曖昧にしておいて、広く同志を募ろうということなんじゃないの?きちんとした「ニセ科学批判」綱領を作り出したら、すぐに仲間割れするとか、考えてることが人によって違いすぎてるとか、そういうことがはっきりするはずなんだ。で、本当ははっきりさせなきゃいけないのに。これがズルい。


何度も書いてるけど、団体を作って、そっちで仲間内で楽しくやっといてもらったらいいんだ。他人を「あっち側」だのなんだのと簡単に言う人たちは、「そっち側」に逝っといてくれってことだ。下手に「科学」を標榜されるとそういうことが見えにくくなるだけ、ネット右翼やはてサみたいな政治がらみより、たちが悪すぎるんだよ。


で、この一文なんか、面白いよねえ。。。

彼らニセ科学批判者にとっては、ニセ科学批判という観念は自己概念を支える世界観となっており、だからこそその世界観を否定されたら自己も否定されたと思い込み、怒りだすのである。ニセ科学批判者にとって、ニセ科学は知識ではなく、思想である。

ネット右翼と同じでしょ。

理系の若者たちは、自己の知識に意味を与えてくれる思想に飢えているために、ニセ科学批判の思想的魅力の虜となり、自己の自我を保とうとしている。

まあ、ここは表現はちょっとオーヴァーかもしれないけれど、でももしもそういうことなら、、、って思うな。別に、理系の若者だけでもないでしょうが。ようはそういう意味では「ウブ」な人たちが多いのかも知れないね。


あれだ、この界隈では「予防接種」ネタがお好きな人が多いようだけど、ものの考え方のほうの「予防接種」も必要かもしれん。というか、ニセ科学批判くらいなら、いい「予防接種」になってちょうどいいのかもしれんけどね。困ったことにご当人方はマジだから。