懐疑主義者団体なんてね。。。

こう、パッとしたCICAP批判がすぐ見つからない。たとえば、創設時からのメンバーのMargherita Hackが共産党だとか、しっかり茶化されてるみたいだけれど、一人だけ取り出しても仕方なかろうし。
Margherita Hack - Wikipedia

Si è candidata alle elezioni regionali del 2005, in Lombardia, nella lista del Partito dei Comunisti Italiani

(2005年のロンバルディアの地方選挙では、イタリア共産党から出馬した)


あるいは、CICAP批判で頻繁に投げつけられる言葉が“Integralismo scientifico”、「科学全体主義」とでも言ったらいいのかね。“Integralismo religioso”のもじりで、ようは僕がニセ科学批判に半分シャレで言ってることをイタリア人も言ってるわけだ。なーんだ、とは思ったけども。


それにしても、懐疑主義者団体って言われることはどこでも同じだなあ。
Il Cicap è chiuso di mente?
2000年の記事で、ここでは読者の批判とその返答をのせていて、その意味では公平。批判と言っても、ニセ科学批判にもよく言われがちな奴で無駄に長いので訳さないが、要するに「なんで、あるかもしれないことを頭からそう否定するのだ。お前たちの考えの根本がおかしい、視野が狭いんじゃないか」と。


それに対する返答も、ありきたりと言えばありきたりで、

la risposta a questa domanda e una sola ed e una risposta che andiamo ripetendo da ormai dieci anni: non possiamo e non vogliamo negare in linea teorica l'esistenza di nessuno di questi fenomeni, anche perchè siamo convinti che molte di queste cose potrebbero rendere molto più divertente e interessante la vita di tutti

(貴方のご質問に対するお答え、それもすでに10年も前から繰り返しているただ一つの答えは次のようなものです。すなわち、こういったこと(注:超常現象などCICAPが批判対象とするもの)の存在を論理で否定していいとも、したいとも思っていません、その多くは私たちの生活をより楽しく、興味深いものにしうるものだということは、私たちは重々承知でもあるのですから。)

Molto modestamente però ci permettiamo di aggiungere una considerazione che forse a lei sembrera "prosaica" e banale, ma che a noi continua a sembrare importante: se ci sono, una o più di queste cose, qualcuno vuole essere così cortese da mostrarle a tutti noi altri e condividere la felicità per una così importante scoperta? Se invece si tratta null'altro che di ipotesi, di teorie non suffragate da alcun riscontro, di raccolte di sogni e belle speranze, be' allora ci lasci dire che la strada della ricerca scientifica seria continua a sembrarci una via migliore di conoscenza.

(ただ、おそらく貴方にはひどく散文的で通俗的に見えるかもしれないけれども、私たちにとっては重要だと思われる考えを一つ、控えめに付け加えせさせていただきたいのです。もしも一つでも二つでもこういったことがあると、ご親切にも他の人々にそれを見せつけて、大事な発見をしたという幸福を共有したがる人がいます。他方で、もし取り扱うものが検証を経ていない仮説や理論、つまり夢や美しい希望の集積だというならば、それではよろしい、私たちには、真剣な科学的探究の道こそ知識を得るための最良の道であると思われた、こう申し上げさせていただきたいのです。)


・・・その言やよし。



で、本当に科学的に検証するだけなら結構なんだけれども、じゃなんでトリノの聖骸布を模造しなきゃならんのかがさっぱり分からない。
Presentata la “Seconda Sindone” al convegno del Cicap - A ragion veduta
CICAPの実験担当の責任者でもあるパヴィア大学のLuigi Garlaschelli教授が昨年トリノの聖骸布を模造したという話で、CICAP創立20周年の大会の、どうも目玉の一つがこれだったらしい。ざっと見たところ擁護論としては、聖骸布の信憑性については云々してない、単に13世紀・14世紀の技術で制作可能なものであることを示しただけだ、少なくとも疑問を引き起こすことはできるなどという言い訳をする人が少なくない。まあ理屈は分かる。


ただ問題になるのは、誰がこんなもんのために金を出したのかということで、

“Seconda Sindone”, la cui realizzazione è stata finanziata anche dalla Uaar.

UAARというイタリアの無神論者団体が支援の一部を担っていたわけで、当然これに対しては批判が入る。


科学的にどうかという問題は、ちょっとググれば出てくるし、僕はあれこれ言うほど興味ないし精読したところで時間の無駄だから、興味のある人はどうぞということにしておく。聖骸布問題なんて、詳しい人は詳しいだろうしね。


それにしても理解不能なのが、なんでこんなバカなことをするのか、ということ。20周年記念で寄付金集めのためと考えるのが順当だろうと思うけど、よくもこんなくだらないことするよなという印象しか持てない。


それ以前に、上の手紙で言ってることが本当だったら、どう考えたってこんな無駄なことをする必然性がない。だから、建前に説得力がない。


こういう建前と実態の乖離は、日本のニセ科学批判とよく似ているね。


と、こんな感じで、要するに、理屈はご立派だけど、やってることが「無神論者団体から支援を受けて聖骸布を模造する」だから「ホレミロ、やっぱりただの無神論者や否定主義者の集まりとちゃうんか」と突っ込まれることになる。つまりは、イタリアでも「また藁人形論法だ」という反論に説得力がないんだよ。



もっとも、CICAPのもともとは、超常現象や神秘現象を無批判かつセンセーショナルに垂れ流すマスメディアのありようにPiero Angela が疑問を持ったことにあるのであって、Angelaは今年もRAIで超常現象批判番組をやるらしい。それはそれで結構なことだと素直に思う。


でも、Piero Angela自身は科学普及の功績をもってお国から勲章をもらって、さらにその息子Albertoもフランスやアメリカなんかに留学して古生物学だのいろいろ勉強して、どうもオヤジの後を継ぐ気配がするところを見ると、一家でうまくやらはってよろしおすなあと言いたくなるのも正直なところ。
Piero Angela - Wikipedia
Alberto Angela - Wikipedia


疑似科学批判トンデモ批判でジャーナリストが社会的に認められるなんていいなあと思うのは、たぶん間違い。イタリア人は自分のことしか考えてないのが普通なので、言動を真に受けると間違える可能性が非常に高い。もっと調べたら何か分かるかもしれないが、これ以上首を突っ込む気にもならない。どうせロクなもんじゃないと思う(公平を期すために付言すると、2006年の総選挙の際、プローディとベルルスコーニのテレビ討論会の司会にふさわしい人はだれかという新聞のアンケートで、筆頭に来たのがPiero Angelaだったそうだ)


ま、懐疑主義者団体なんて、この程度なもんなんだよという、その一例。