問題意識の共有
かつて「2ちゃんねる」を指して新興宗教のようだと評した事があるのだが、Twitterへの異常な礼讃であるとか、非実在青少年絡みの狂乱的な反対派の論理展開等を見ているといまや僕にはネット全体がそのように見えてしまう。この方も恐らく同じような印象を持たれていたのではないかと推測する。
そうそう。たまにTwitterにたいしてイヤミを書くのも、Twitterに陶酔してる人たちの様子が、なんかおかしいでしょ、だからからかいたくなるんだよね。
たぶん、だけど。
基本的にネットって、小さいサークルとか人と人のまとまりが重なり合って積み重なってるように見える。
あるテーマに賛成派・反対派があるとして、両者がネットでそれなりに平和的に共存してるのは、賛成派のサークルと反対派のサークルが小戦闘を繰り返しながらも、しかしサークル内で緩いまとまりを維持しつつ、結果的にある程度の距離感があって、それで住み分けられてるからなんでないのかな。
あまりにも言い古された単語だから使いたくないけど、これっていわゆる一つの「タコ壺」でしょ。平和共存のためには同じ意見の持ち主が集まるしかないんだから。そうなるとどんどん意見が過激になって、自家中毒を起こす。
そりゃね。発狂するわけですよ。
http://diary.nyarla.net/2009/11/17/1
で、最後に三点目。これは朱に交われば赤くなるというか、最初は中立的な立場から反対運動に関ろうとしていても、 周りの大量の厨房に影響され、どんどん厨房化、先鋭化していくってのが一つ。
これは周りに似たような厨房ばっかりなもんだから、たとえ誰かが止めようとしても、 集団がどんどん先鋭化していくって話です。
まあこれはどんな政治運動にも言えることなんですが、自分達の活動を客観視できずに、 自分達が気持ちのいいことだけを求めていく集団が陥る罠です。 まあこういう集団の末路って大抵内ゲバ、粛清合戦になるっぽいですが。
個人的にはおたくとか社会一般の集団から外れ勝ちな集団が、 群れて行動するとこういう結果になりやすいのかなぁと思います。
政治運動の場合、その筋のプロの煽り手がいるはずだから余計にね。
でも、政治運動だけじゃなくて、どうもネットで人がまとまるとこういうことになるらしい。
で。
ネットのデマに引っ掛かる人たちを「情弱ざまぁwww」と嘲笑するのもいいけれど、でもあんまり意味がないわね。それでデマが消えるわけでもなく。
結局は、問題意識が広く共有されることによって、「ネットとはそういう場所なんだ」という慎重さというか、ある種の免疫を持つしか他に手がない。それで全体の雰囲気として抑制的になるしかないんだろうけれども。難しいだろうな。