伊勢田哲治先生の資料

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/pseudoscience_ethics.pdf
さすがにというか、もとはと言えば日本では「と学会」のネタなのにねえ、というのが率直な感想。元来俗なものを上品にして料理する明石のタコ料理屋を思い出した。


「科学者が疑似科学を批判すること」が許される条件のところはよくできてると感じたけど、仕方ないとは言え具体的なところはまだなんだろうなあ。ま、誰がその基準をつくるなり、概念に具体性を持たせるなりして当てはめていくんだろうかと思う。「害」という言葉一つとっても、ちゃんと定義するの大変。


ただ、これを厳密に運用したら、たぶん、社会倫理だの詐欺は許せないだので自己正当化する人間は少なくなるんじゃないかとは妄想した。。。でも「個人」としてはまた別だから、わめく連中はわめくか。とくに天羽先生あたりは「社会人として」云々とまた吠えるんでしょ。嗚呼。


たぶん、一番現実的なやり方は、、、ごくごく普通な対処でいいんじゃないのと思ったりするね。外部に向けて専門の科学者がアピールする必要があるのは同感だけど、わざわざ「ニセ科学」「疑似科学」としてくくったうえでやらなきゃいかんことなのかどうか。なにせ「ニセ科学の蔓延は社会病理」というのが前提で「ニセ科学批判」が成立してんだから。社会病理だから切り取れ合理的に考えろって発想と、「科学」というラベルの乱用は信用にかかわりますという話と、根本的に違うんだもの。
Daily Life:疑似科学と専門職倫理

ID論などは科学というより思想に分類してもよさそうなものだが、「思想」ととらえるか「科学」ととらえるかでとるべき態度が違ってくるものなのか→専門職として科学を考えるとき、「科学」というラベルが濫用されないことは大事。

害があるかどうかを批判が許容される条件に入れているが、それだと結局社会的影響について科学者が判断することになるのではないか→科学に対するクレジットの不当な取得という場合にはそういう判断に踏み込まなくてもよい

とくに、後の件については問題で「社会的影響」を見積もらないと、批判することによる利益とリスクのバランスが見通せない。それこそ優先順位にも関わる問題だから、「そういう判断に踏み込まなくてもよい」はずがない。「クレジットの不当な取得」みたいな一般論では、意味ないわけで。菊池先生が「優先順位問題」として開き直ったのも、このあたりで行き詰ったのかもしれないね。


やっぱり、ここを乗り越えないとニセ科学批判はだめなんだよ。あたしゃずーーーっと言ってるけどさ。