ドイツの「懐疑主義団体」批判

Wunder先生のエッセー。
Psychophysik.com
個人的に興味があることのひとつは、宗教とのかかわり。どうしてるのかな。

Die Abgrenzung des Gegenstandsbereichs, zu dem die GWUP aktiv sein sollte, ist ein Thema für sich. Syndrom-Skeptiker tendieren dazu, (48) die Grenzen sehr weit und auch auf Religions- und Weltanschauungsfragen auszudehnen.

つまり、GWUPの活動にかかわる範囲をどう線引きするか自身が問題で、「懐疑主義者シンドローム」の人たちは、宗教的問題・世界観に関する問題にまでその境界を押し拡げようとしがちである、と。少し飛ばして、

Während manche selbsterklärte „Skeptiker“ offen fordern, dass auch in Religions- und Weltanschauungsfragen die GWUP klar und kämpferisch Position beziehen sollte, erkennen andere, dass dies zumindest taktisch unklug wäre, da es die Glaubwürdigkeit der Organisation beeinträchtigen und vermutlich gruppeninterne Spannungen hervorrufen würde (denn die GWUP ist in weltanschaulicher Hinsicht nicht völlig homogen, wenn auch atheistisch-naturalistisch-szientistische Positionen klar dominieren). Folglich wird (49) aus taktischen (!) Gründen die Behandlung von Religions- und Weltanschauungsfragen vermieden und hier eine „Arbeitsteilung“ mit anderen Organisationen (in der Regel organisierten Atheisten) angestrebt oder empfohlen. Der Geschäftsführer der GWUP vertritt z.B.eine solche Haltung, nicht anders auch der CSICOP-Vorsitzende Paul Kurtz.

多くの「懐疑主義者」は、GWUPは宗教の問題や世界観に関わる問題についても強い立場をとるべきだと求めがちなんだけれども、他方で「それは戦術的に賢明でない、なぜならば組織の信用信頼に関わる問題であり、組織内に緊張関係を惹起しかねない」と考えている人もいる。なぜなら、GWUPは、無神論的・自然主義的・科学主義的立場が明確であるとはいえ、世界観に関する問題については必ずしも十分に一致しているとはいえないからだ。したがって、戦術的根拠から、宗教問題や世界観に関する問題は避けられ、他の組織、無神論者の組織との分業を進めることになる。これは、GWUPのリーダーがそういう姿勢をとっているし、またCSICOP(現在のCSI)のPaul Kurtzもその例外ではない。



つまり、学問的にどうこうという意味で宗教の話題に突っ込まないんでなくて、単に組織を維持するのに戦術上適切だからそうしているにすぎないというのが、Wunder先生の不満とするところらしい。


ま、この辺は日本のニセ科学批判も似たところがあって、宗教の話題には首を突っ込まないと言いながら、欧米の無神論者と大して違いないことをぼろっと言ったりする。じゃなんで宗教の話になると逃げるんだと言うと、そこが微妙なんだな。


ついでに書くと、件のUFO好きのHenke氏もこの点はさらりと触れている。批判者側の知識の欠如の問題に触れた文脈で
http://www.skeptizismus.de/henke.html

Der damalige Leiter des GWUP-Fachressorts Astrologie (der 1992 durch Edgar Wunder abgelöst wurde) entpuppte sich als kämpferischer Atheist und fanatischer Kirchenkritiker.

GWUPの占星術部会の当時の代表(1992年にEdgar Wunderに代わったが)が戦闘的な無神論者であり、狂信的なキリスト教批判者なのがわかった、と。で、そのこと自体はともかくとして、肝心の批判対象に対する知識が十分やないやないか、というように続く。



念のために書くと、この手の懐疑論者の内輪もめに首を突っ込むつもりはない。だから、Wunder先生のエッセーをそのまんま受け取って、先生万歳とはやれないと思っている。


とはいえ、日本のネットだと(科学的)懐疑主義について割に穏健な意見で語られるとそれだけで納得されてしまう空気があるようでもあり。でも、それって変だと思う。実態は多様であるらしいから。


以前、アメリカの懐疑主義に関するサイトを眺めた時も、サイト主さん自身は穏健な考えの持ち主だけど、それを一般化することは必ずしもできず、むしろ相当攻撃的な人たちが多いというか、かなりいるはずだということは書いた。だから、このアメリカのサイト主さんの場合、Skepticがキターと敬遠されたらしいのも、必ずしも“Believer”たちだけの責任とは言えないだろうと思う。
理屈と現実のギャップ - 今日の雑談


むしろ問題は、そういうもっともな例を示してこれこそ○○だとやって他人を説得しようとしても、「でも、あんたがた実際のところはまた違うやん?」という疑問には何にも答えられないところにあったりする。


表向きもっともなことを言いながら、その実態は本音と建前の乖離が著しく、つまり組織や運動を学問よりも優先してしまう。Wunder先生はそういうGWUPの体質について批判を続けるが、それはまた触れるとして、同じことが日本のネットのニセ科学批判の人々にも言えるか、どうか。少なくとも、人間のやることは洋の東西で大して違いはない部分もあるぞくらいは言えるかもしれない。