ネットにおける「神格化」の構図

というのをだれか書いてくれんかと前々から思ってる。buyobuyoさんの一件を見て改めてそう思った。



ネットを見てると、個人は個として動いてるように見えて、離れて見ると容易に徒党化してるのが実に不思議。


たとえばアルファブロガーがいて、そういう人の書くものは無条件に感心するか、逆に反発すると。たぶん、無条件に感心する人の集団が先に来る。


アルファブロガーの下に、プチ・アルファブロガーが転がっていてと、こういう形になっている。そこに通底するものがその他大勢の読者による妙な「感心」で、これがよく分からない。


不思議というのは、はてブでこういう「感心」をみて実際のエントリをみても、なんじゃこりゃということは少なくないから。つまり、中身が問題というよりも、ある意味「神格化」されたものを無条件に受け入れてるだけじゃないのか、と考えたほうが分かりやすいことが多い。


もっとも「読売巨人軍」にとって熱心なファンと同時にアンチ巨人も大事なお客さんだというのと同じ意味で、必ずしも「感心」だけではないんだけど。でも、基本は「感心」みたい。


あと、少し気になるのが「このエントリには同意」の「同意」の使い方。あんたが同意して何になるんだという素朴な疑問とともに、「同意」という言葉のどこかかたいニュアンスもあって、なんでこんな言い回しが普通になってるのかよく分からない。ごくスタンダードな日本語でこんな使い方する言葉じゃないと思う。



だけど、いったん「感心」の循環が出来上がるとそれがまた権威付けになって「感心」する人がふえる。で、読むほうはあまり何も考えないで済むようになる。


しかも、ブロガーだけでなくて、あるネタも「神格化」されやすくて、そこにわらわらと群がるわけだ。で、この手の神格化はネット右翼からはてサからニセ科学批判から英語の学習法・料理のレシピ・テレビタレントの話まで、程度が違うだけでおおよそ同じことをみなやっている。



buyobuyoさんの話が一部で話題なんだけど、あれを眺めてよく分からなかったことの一つもこれなんだな。


罵倒系のブロガーとしてよく知られてたけど、「あわせて読みたい」あたりでオススメしてるブログも結構あったと思う。僕なんかにはそもそも論として、なんであの人のブログをオススメできるのか、よく理解できない。東大だか何だか知らないけれども、言ってることにも無茶が多かったと思う。


素性バレ実名晒しの是非はここではおくとして、もうちっと素直でない人が多ければ大して有名にもなってないはずで、ならば素性が知れたからとてどうということはなかった。読むほうがすべて悪いとはそりゃ思わないけど、こういうことが起こる背景はやっぱり「神格化」の要素がひとつあると思う。


もう少し簡単に言うと、ちょっと素直にものを読みすぎじゃないかって。