通称「理系」の言ってる「論理的」ってどういう意味なんだろう?

「理系」「文系」という分け方は好きでないんだけども。血液型性格判断みたいで。ま、あえて。


一般には「理系」の人は「文系」の人よりも論理的だとされてますが。で、増田なりはてぶを眺めてたりすると「論理的」って言葉をちょくちょくみます。


どういう意味なんでしょうかね。「論理的」。


僕はしつこく書くんだけども、天羽先生の国籍法の話で、「専門外だから間違えるのも仕方がない」とのたまった人たち(これがそれなりにいるんだね)はなんだったんだと思う。専門外を言い訳にしながらニセ科学なんぞ批判できるはずがないんだもの。「引っかかった人は専門外だから仕方がないですね」でおしまいになるだろうに、現実は誰もそんなこと言わない。やれ教育だのこのレベルのことを知らんのかだのという話になるのが普通だ。ちっとも「論理的」でない。
はてなブックマーク - ニセ科学批判してる先生の発言がニセ科学信者とさほど変わらない件について - NC-15


そこでまあ、論理性って一体なんなんですかと。なんのことを指してるんですかと。


まだ疑ってるだけだから簡単に書いちゃうけど、結局「論理」と称するいくつかのフォーマットがあって、そこにポンポンはめ込んでいってるだけなのかもしれないなと。そのフォーマットに形式的におさまってさえいれば「これは論理的だ」と言い「明確だ」と感じるけど、中身についてはあまり考えてない。


だから、形式さえ「論理的」に見せかけてやったら、割に簡単に納得する、引っかかってしまう。まあ、まだ疑ってるだけだけど、根拠はいくつか持ってる。これはまた書くことがあるかもしれん。


そりゃ、まともな学者さんはもっとちゃんとした理屈の使い方をされるでしょうし、論文審査なんかきちんと行われるのでしょうから分からないはずがないんでしょうが。が、そうでないと思われる人が現にいるわけで。上の人たちみたいなのって、どう考えても「論理的」じゃないし。(政治的だってなら理解できますけど)


それに正直言って、日本の大学でどのくらいの人たちが「論理性」を身につけられるような教育を受けてんだか。これも疑問でって話がずれるか。しかし実際のところ、自分たちで思ってるほど本当に「論理的」「科学的」なんでしょうかね。


例の天羽先生の「ガイドライン」だって、論理性は皆無だし。役人の書いた作文を真似するまともな理由がないんだもの。しつこいけれども、あれって本来なら学者さんが学会でどう対応するんだとかそういう類の問題のはずで、それなら当たり前のことを当たり前にしてればいいんでしょう、きっと。なにもわざわざ既存の法律なり規制なりを借りてそのまま応用までして、それでああいうものを一生懸命考えて、これなら納得させられるだろうって、何なんでしょうな。科学とは次元の違う話だってのに。


いや、通称「理系」が言う「論理的」とか「論理性」って、いったい何のことなんでしょうかね。