理想と現実の間

Sofan ものの見方 マトモなニセ科学批判とはどういうもので、マトモであり続けるにはどうすればよいのか、ということを具体的に書かないと話は進まない気がするです。
はてなブックマーク - Sofanのブックマーク / 2009年2月26日

簡単。

あるニセ科学を取り上げる。
ここが間違っていますという。


まともであり続けるためには、活動家の言うことは聞かない。

あはは、物足りない?


いや、これ以外すべてダメとか、そういうことじゃないですよ。たとえば大槻先生がアポロ陰謀論を唱えてるから個人的にここは違うとメールを送るというのはいい。


ようは程度問題で塩加減や砂糖の加減だけど、いずれにせよ、いまのニセ科学批判ってのはこういうこととそもそも次元が違うだろうと思っています。実際、違いますよね。


つまり、あんまり底意があるのはどうか。自然科学を看板にしてるだけ、底意が一般に非常に分かりにくくて、このままだとほとんどニセ科学とやってることが同じになりかねない。


たとえば、ニセ科学が信じられてしまうのはって話をしだすと、最後は社会の問題だというふうに持っていく。つまり、それが本音だ。だから、科学者だって社会に生きているんだから声を上げればいいんだ、という議論が、普通にあるんですよね。ま、そりゃそうですよ。


でも、科学者が「科学として間違っています」ということと、社会人として「そりゃ詐欺だろ」ということとは切り分けなきゃいかん。当たり前でしょ?でなきゃ、ニセ科学批判側がニセ科学とおんなじことやってることになる。


でも、そこを強引にねじふせちゃうんだよね。間違ってますよ、そんなの。


といっても通じないだろうから、話を進めようとする気が僕にはあまりない。じゃ、なんでこんなの書いてるかって、誰か分かってくれたらいいなって思うから。ブログってそんなもの。

Sofan ものの見方 「現実主義者」を標榜しつつも、単なる現状への従属者となっている人々は、ここで言われている権威主義に気付かぬ内に嵌ってしているのかもしれないとかふと思った

はてなブックマーク - Sofanのブックマーク / 2009年2月26日

あのね。分かってくれるんじゃないかと思うから書くよ。


一番難しいのはね。理想と現実を両方持ちながら理想を実現しようとするのが難しいんだよ。


理想を掲げるだけ、煽るだけ煽ってこれが理想だーってやるのは、格好いいかもしれないけど、一番無責任で愚か者なんだ。はてなにはそういうの多いみたいだけどね。


だって、じゃーあんたやれって言われて、出来ますか?出来ませんよ。現実を無視してるんだから。


ニセ科学をなくすんだって言って、じゃあ、なくなりますか?誤解を解こうとする努力は必要だけど、しかし人間がニセ科学みたいなものを信じなくなるようなことは絶対にありません。そこで妥協が必要になるし、まあぼちぼちいこうやという心の余裕が必要になるはずでしょ?水伝を教える小学校があるってんなら、いろんなかたちで啓蒙するなり教授するなりしか、手がないじゃないですか。いまのネットのニセ科学批判ってそういう雰囲気全然ないですよね。


むしろ、ニセ科学的なものと常にあるのが人間ってもんなんじゃないですか?人間ってそれほど合理的にできてない。もちろん、合理的であろうとすることはできるけど、すべて合理的になることは無理だ。それに日本は空気で動くからって、まあそうだけど、じゃあ今さらどうか出来るかって無理ですよ。ニセ科学批判で日本人がすべて合理的に考えるようになってみんなハッピーになるんだったら、やってみりゃいいじゃないですか。政党作って政権とって。僕は、みなハッピーになるとは信じないけどね。フランス革命でもあるまいし、そんなのでいいんだったら誰も苦労しない。


ニセ科学批判をあおる人たちは、ニセ科学を信じるような社会はっていいますけどね。ま、社会が不安定になると迷信を信じがちってのはそう。だけど、それが人間ってもんですよ。


そこで、科学者が「いや、それは科学としてはこうこうで、これが迷信です」というのは、僕は尊重するし賛同します。だけど、科学者と社会人と政治運動とがごっちゃになったような形で一般人をワッと煽るって(今のニセ科学批判のもとはそれだもの)、それ、ニセ科学とやってること変わらない。そんなのなら、僕は徹底的にぼろくそにいいますよ。