ネット○○派 part263 「忖度」

リフレ派の某所をちらっと見てしまったんだが(基本的にもう見ないことにしてるんだけど)、与謝野さんをあれこれ忖度していて本当にアホくさかった。


与謝野さんがよくトチ狂った発言をするのは、単に病気をして寿命を自覚しただけの話で、でなきゃああいうもの言いが出てこない。そしておそらくそれ以上の意味はない。


発言内容の是非(例えばデフレに関する最近の発言は僕にはよく分からなかった)や、あと先考えずにド正論を直球で放り込んでくる無茶は政治家としてどうなのよとかいくらでも文句はつけられるけれど、この際そういうことはおいておいて、問題はなんでそういう忖度ができるのかという点に尽きる。


リフレ派にとって与謝野さんって典型的な敵キャラで、彼らの陰謀論気味の文脈にはめ込めてしまえる人物なので、その種の忖度が面白いというか、いくらでも話が作れてしまう。


だけど、この種の忖度に根拠はまるでない。単にネット○○派内部の文脈に沿った形で妄想を語るしかないのが実際のところなんだけど、ネット○○派内部にいるとそのあたりの感覚がずれる。


なにせ、日銀陰謀論財務省悪玉論・霞が関叩きに「○○さん」や「××先生」が正当性を与えてくれているので、その文脈に沿っていさえすれば、心おきなく妄想でも忖度でもできるというわけだ。


こういう仲間内の無駄議論が実にアホくさいのは、やってる当人たちは実に善人というか、たぶんいたって真面目に議論してるつもりになってるらしいことで、、、これがTwitterだったら、仲間でない意地の悪い人が釣り上げてからかって遊んだりすると思うけど、、、仲間内だから結局「なんちゃって議論」してるだけになってしまうんだね。


つまり、仲間内で共有されている文脈を確認するために、「与謝野」とか与謝野さんに対する「忖度」とかが利用されているだけで、それ以上の意味がない。しかも、文脈が確認できさえすれば、根拠がなくてもなんだっていいわけだ。


この手の文脈の共有とその確認を繰り返すことで、中毒を起こしているんだけど。