ニセ科学批判はかくもずるい

はてなブックマーク - Twitter / 早川由紀夫: 数学者:学問としての体系に絶対揺るがない自信を持って ...
この件で僕は早川先生の肩を持つわけではありません。でもちょっと言いたい。あんまり無茶だ。


ま、一例として取り上げるだけで、個人を批判するわけではないですが。

VodkaDrive 下コメで散々名前の挙がってるガードナー。我々なんて足元にも及ばないくらいのニセ科学批判者で、数学者なんだが・・・

ガードナーがなんで疑似科学批判やってたかって問題があるんだな。数学者だからじゃないと思うよ。
日本語の「懐疑論」ってちょっと変 - 今日の雑談
Martin Gardner - Wikipedia

Gardner has had an abiding fascination in religious belief. He is a theist and professes belief in God, although he is critical of organized religion. He has been quoted as saying that he regards parapsychology and other research into the paranormal as tantamount to "tempting God" and seeking "signs and wonders".

CSICOP and the Skeptics: An Overview by George P. Hansen

Martin Gardner also acknowledged the influence of his religious beliefs, and he revealed that he once was a Protestant fundamentalist (Barcellos, 1979; Morris, 1982). Apparently his opposition to parapsychology is based in part on religious factors, for he has written:

It is possible that paranormal forces not yet established may allow prayers to influence the material world, and I certainly am not saying this possibility should be ruled out. . . . As for empirical tests of the power of God to answer prayer, I am among those theists who, in the spirit of Jesus’ remark that only the faithless look for signs, consider such tests both futile and blasphemous. . . . Let us not tempt God. (Gardner, 1983b, p. 239)

つまり、ガードナーにとって重要なのは信仰であって、そういう奇跡だとかなんだとかで信仰を云々されるのが非常にうざかったわけだ。だからニセ○○の類を批判した。


そりゃ、宗教的情熱が前提にあるんだから、「我々なんて足元にも及ばない」ってことになるのも道理です。リンクした記事にも引用したけど、「サイエンティフィック・アメリカン」誌に“evangelical Christian creationist”のコラムニストはふさわしくない、このコラムニストを拒絶するのに十分な理由があるとガードナーが言ったって話があるが、これがもし本当なら、もう宗教戦争というか、個人の信仰の自由に踏み込んだハラスメント、血液型性格判断の「差別」を批判するならこれも批判するべきじゃないのか。


・・・


で、ここが日本のニセ科学批判のずるいところなんだ。


日本のニセ科学批判は批判対象を科学に限定して、オカルト批判や宗教批判を建前上除外してる。ガードナーみたいな信心深い人でも反宗教の合理主義者でも、海外の疑似科学批判ではそういうところが本当は大事なのに。そういう文脈で疑似科学批判ってのが成立してるのに。


ところが、日本のは実態として海外の疑似科学批判を参考にしているので、現にこうやって「ガードナーが。。。」とか気楽に言いだすし、漢方よりホメオパシー叩きに熱心なのも、既に外国で批判の理屈がそろってるから叩きやすいってのがあるんでないの。


でも、建前上オカルト批判や宗教批判を対象から外している以上、気楽にガードナーの名前を持ち出すべきではないんだ。本来ならね。


だから、

mujisoshina (略)数学分野のニセ科学詐欺とかあったっけ?

とかあっさり言われるけど、こういうの、疑似科学批判の日本的理解にしかなってない。詐欺被害があればそれでニセ科学批判が成立すると思ってるんだもの。


もし本当に日本で疑似科学批判やりたいなら、オカルト批判宗教批判を堂々とやって、合理主義こそ善をもたらす、科学こそ世界を改良する、合理主義精神を理解しない連中はバカだ、こういう不明な連中が世界を混乱させると言えばいい。それはそれで一つの立派な見識だ。


でも、菊池先生たちはニセ科学の対象を科学分野に限定することで、そこの文脈をごまかして「釣ってる」の、どうしてそれが分からないのか、本当に不思議だ。