だからニセ科学批判はダメなんだよって

菊池先生の血液型性格判断のインタビュー記事に対する反応が広がりを見せていて面白い。

ニセ科学批判者と議論ができないのはなぜか、その一例

とりあえず、血液型性格判断は差別問題だといって、こういう例を出した人がいた。
血液型性格判断はエセ科学問題ではなく差別問題だ - 狐の王国

わかってる人には当然のことだろうけど、そうじゃないんだ。血液型性格判断の抱える一番の問題は、差別問題なんだ。


昔読んだ本で、ユーラシア大陸は西側にA型者が多く、東側にB型者が多い、と書いてあった記憶がある。西側の民族である西洋人が、東側の民族である東洋人を差別するために流布したのが血液型性格判断なのだそうだ。


曰く、A型者の多い民族は優性民族、B型者の多い民族は劣等民族……(中略)


そう、B型者が差別されてるのはその由来(が事実ならだけど)からすれば当然なのだ。そもそもB型者を差別するために作られたものなのだから。


A型者は勤勉で真面目、B型者は粗暴で大雑把、というのはその頃に作られたイメージらしい。

で、どこまで意識してたか知らないが、utanakaさんはこう書いた。
http://d.hatena.ne.jp/utanaka/20090427/1240788986

何かオイラ、すっかり「差別を酒のツマミにする人」になっちゃってますね。一応今更ながらお伝えしておきますが、オイラはB型の人に対して特別ネガティブなイメージは持っていないし、そんな発言をした事もありません。周りの人もさして変わらず。「A型やO型の人が羨ましい」と思うのは、無難な性格のような事を言われている時にたまに思う程度です。

どう読んでも、上のエントリを受けて書かれている。リンクもされてるし。ところが、コメント欄にこういうことを書く人が出てくる。

あなたの文脈を読むと「血液型性格診断を差別問題、だというのはBだけ」
という風に読み取れるけど、血液型でとやかく言われるのは何もBだけに限った話ではないよ。「血液型で性格を決め付けられて悔しい思いをした」というのはAだろうとOだろうとABだろうとある事なんじゃないのか…と思うのですが。

批判するつもりはない。これはこれで理解できるコメントだから。だけど、議論がすり替えられているのも間違いない。理屈で勝とうとして無意識にやってるんだろうけども。


で、こういうことがニセ科学批判の人たちと議論していると頻発する。頻発するので、呆れる。なーにが論理性だよ理系だよ、単に屁理屈こねて自分が勝ちたいだけじゃないか。

いつも根拠を示せと言ってるのに根拠薄弱

utanakaさんに対してこういうエントリが出た。
それじゃあB型の俺から少し言わせてもらおう。 - 活字2.56g

皆が皆そうだったらいいんです。
しかしそういうものでもありません。
例えば結婚紹介所でB型は不利です。
例えば就職でB型は不利です。

結婚紹介所や就職でB型が不利だというその根拠が次のサイトである。
就職のとき、血液型をA型と書くと採用されやすく、B型と書くと採用されにく... - Yahoo!知恵袋

個人的な話ですが、血液型を多少ながら参考にするという事務所を知っています。
なんでも…B型はなるべく採用しないとか…。
(中略)
しかし、そんなところは極少数。私がしっているところは個人経営の事務所ですから。
大手企業でそんなことはないはずです。
履歴書に血液型を記入する欄はほとんどないですから。
心配はいりません。

http://prescription.felista.jp/e413.html

それでは、まず、B型の特徴から・・・


マイペース、気分屋、自己中心的、人の話を聞いてない、天然ボケ・・・ふむふむ、あらまあ散々ですわね。
こんなに言われては確かに不利かも知れませんわね。(中略)
しかし、B型はおもしろいと言われる反面、こんな風に捉えられるののこともあるのですね。お気の毒に・・・。


事実無根ですわね。無実を主張してくださいな。

たしかにそういう事務所や言説が存在することは認めているが、ごく少数であるとされたり、事実無根と切り返されたりしているのである。「踊るさんま御殿」まで出てくるのはもう論外。


常々思っているが、ブラッドタイプハラスメントと名付けるのは勝手だけれども、それが現実にどの程度の影響を及ぼしているのか、きちんと検証する必要があるんじゃないだろうか。でないと、議論の展開をどこまでしていいのか、判断がつかない


その意味で、アンケート調査しようとしたニセ科学批判の自称「チンピラ」さんの情熱と問題意識はごもっともだと思っている。ごもっともだと思うだけに、やめとけやめとけと僕は言った。だれもそこまでやろうとしないんだから。やろうとしないってことは、ニセ科学批判にだれも本気でないんだから。あるいは、下手に調査すると大して重要な問題でないのがバレてホラの吹きようがなくなってしまうから、だからそういう調査をやらないんだろうと邪推する。


もちろん、例が少ないことは必ずしも免罪符にならない。ならないが、菊池先生が論じるようにカルトと結びつけたりできるのか。ニセ科学批判一般で言っても、危機感が分からんのなら黙っとけみたいな発言が出てきたり(http://d.hatena.ne.jp/jura03/20090226/p1)、ニセ科学にうかつに引っ掛かる人が多いのは社会がどっかおかしくなってるからじゃないかと池内御大が言ってみたり(http://d.hatena.ne.jp/jura03/20090223/p1)するのは、そういう危機意識が背景にあって、それが問題の重要度に比べて、議論を飛躍させる原動力になっている。それが、血液型性格判断にも表れてるように思う。


この飛躍を成立させているものがニセ科学批判にとって問題の一つだと、僕は考えている。

自称理論派なのに定義は不明瞭

ネットで議論してると「定義をはっきりさせろ!」と言うことが多い。そして、定義を特にせずに語ると、罵倒されたりする。時々「理系だから定義をしっかりして論理的に書いてくれんと分からん」とか「これだから文系は」と、それこそステレオタイプな発言を見たり(これって、文系ハラスメントとか理系ハラスメントとか言うのかな)。


ニセ科学批判の人たちにとって「差別」の定義ってなんなのというと、これがはっきりしない。


上のqurockさんの意識は、
http://www.jinken-net.com/old/tisiki/kiso/jin/ti_0202.html

「差別」とは、
「本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること」をいいます。
「出身地」「職業」「学歴」「性別」「家柄」「民族」などによって、上下の値打ちをつけ、その人や団体の自由や権利を無視、侵害するなど不当性、不利益性を被る関係が生じることをいいます。

に近い。他方で、

最初に思いつくのはやっぱり陰口です。

と書かれていたり。陰口の何が差別なのかと。この世に陰口を言われることが絶対にない人なんてそういない。


例のutanakaさんのコメント欄で突っ込んでいた人は、

つまり、「本人の性格は血液型が定める本来あるべき姿とは違ってる」と主張しているわけですね。そしてこれはどれの血液型に当てはまってしまうんです。

という。これはこれで理解できるが、でもこれは差別ではなくて「ブラッドタイプハラスメント」に近い理解を示している。


ようするに、てんでバラバラで、定義や問題意識さえ統一できてなかったりする(理論的だとか理系だとか日頃言ってるのにね、という嫌味はここでは言わないことにしよう)。


そういえば、ニセ科学批判の定義でさえ混乱気味だったりする。こんなことなら、2ちゃんのテンプレを信じるネット右翼の方がはるかに議論しやすくて、かわいいもんだ。

理屈に酔う人たち

結局、ブラッドタイプハラスメントと名前を付けてみたところで、一番ひとに共感されやすいのは「血液型で性格を決め打ちされることがあって、これが非常に不愉快だ」というところだろう。他方で血液型性格判断によって実害が出たという人は非常に少数なのではないのだろうか。


実害が出た人にはまことにお気の毒にと思うし心から応援するが、かといってそのことでニセ科学批判で語られてるような言説をすべて正当化することができないのもまた事実。


だいたい菊池先生の記事にあったように、先生のかわし方自体が「多くの場合は「大型」や「小型」、「Z型」などと答えてはぐらかしている」と茶化したものにすぎない。こんなのでかわせる問題のどこが「差別問題」なんだろう。僕は前に書いたように「自分はA型だ」ということで、時に人をあんぐりさせて喜んでいる。実際のところ、たいていの人にとってはその程度の問題でしかない。


にもかかわらず「差別」とか「カルト」とか「社会」と簡単に持ち出してくるのは、ことを大きく見せたいからであって、もうその言葉や意識に酔ってる人が多いんじゃないか。酔っているから突っ走れる。論理的であるはずの「理系」が理屈の罠にはまってるってそういうことだ。


「ニセ科学批判は、“こんなもんにだまされやがってバカじゃねーの”的優越感... - ぱれあな - ぱれあな - はてなハイク

ニセ科学批判は、“こんなもんにだまされやがってバカじゃねーの”的優越感の表れである」、みたいな例の話について。

必ずしも「優越感の表れ」だけが問題なのではなくて、そんな範疇はとっくに超えてしまっていると僕は思う。「科学」は下手に「正しい」ものだから始末に負えん。まともな人は「まともな相対主義」を持ってるからご心配くださるなと言われても、こんな反応見てると「本当か?」と疑わざるを得ないではないか。その「まともな相対主義」を持っている人たちは、ネット右翼化したニセ科学批判、優越感を出す人をキチンと批判して切り捨ててきたんだろうか。


あえて極端に書くが、いまのニセ科学批判が本当にオウムのことを持ち出してカルト批判できるのか。ちょっと考えてみたらどうか。むしろニセ科学批判側が、全体主義的で非常に危険になっているのかもしれない。論理に強いという自信が盲目にさせているのと同様、「まともな相対主義」をもってるつもりでもってない人が多いだけに。



(追記)
念のため、菊池先生のインタビュー記事を再度みたら、もう面白い。繰り返すが、インタビュー記事なのでもともとの発言より相当ねじ曲がっていると考えた方がいいのはいうまでもないが、たとえば、

これはB型が差別されているという証拠にほかならない。血液型という後天的に変えられない属性への差別は、陰湿でタチが悪い。

おそらく、B型に対する「差別」に特に言及したんでしょう。そして「差別」という言葉を使っているが、厳密な意味での「差別」じゃならしいのは上記のとおり。

血液型性格診断がカルトにつながるとはまったく考えていないが、まったく違う話でもないのだ。

これは得意の菊池節。言いたいことは、はっきりしてる。血液型性格判断に代表される「ニセ科学陰謀論はカルトとの親和性が高い」わけだ。

性別や出生地をめぐる差別は厳しく取り締まられるようになり改善された。血液型にもそのような取り組みが期待される。いまだに履歴書へ血液型を書かせるような企業もある。「就職差別」の被害を司法の場で争うようなケースが出れば劇的に改善するかもしれない。

もちろん、そういう企業は問題だ。しかし、どの程度あるんだろう。司法で争えば確かに状況は変わるだろうが、いったい「何が」「どう」変わるのだろう。たぶん、B型というだけで性格を決め打ちされなくなるようになったらいいなという意味なんじゃないですか?それで本当に「就職差別」された人のことを考えて言ってるんですか?と、この辺の理屈が、こういう性格の記事だから仕方がないのかもしれないが、錯綜している。


もっと言えば、出生地や性別による差別とB型の人間に対する偏見と、同程度に論じることが本当にできるのか。出生地差別や性差別の実態とB型の人間に対する「差別」の実態は、同じ程度だと言えるのか。


たとえば、いくらバラエティ番組とはいえ「さんま御殿」でB型に対する偏見大爆発なのは控えた方がいいのかもしれない(あの番組のことだから、きっとB型の芸能人が反論したんでしょうけど)。


でも、それとこれとは次元が違う話でしょう?そこをいっしょくたにして「差別」とか「カルト」と喝破して煽ってるだけ。この手の言葉が、そういうふうにしか機能してない。こういう「喝破」を支えているもの。それが本当は問題なんでしょうけどもね。