LGBTが子供を育てられる社会を: 極東ブログ

つまり、杉田議員の、愚論といっていいだろう主張への批判は、LGBTが子供を育てられる社会への希求へと重心を移したほうがよいだろう。

この記事は、引用部分に尽きていて、これ自体は全く同感だ。

ただ、それでもややひっかかるのは、杉田議員の「愚論」の部分で、これは確かに愚論だと私も思うんだが、愚論だと思わない人がそれなりにいる、ということも問題ではないかという疑問が私にはある。

というのも、実際この「愚論」を擁護する意見があるし、擁護する過程でより過激な議論になっている側面があり、それらすべてをひっくるめて「愚論」なのだが、つまりこういった「愚論」が党派性に寄りかかって支持されたり、擁護されてしまっている場合がどうもある。

これが私にはどうも引っかかる。

この話題に限ったことではなく、「愚論」を口に出すことで、それが党派性に寄りかかって擁護されるとき、その「愚論」がもっともらしい「正論」に化けて流布する、という場面を、あまりにも見すぎたような気が私にはする。

finalventさんの上の記事では「愚論」と言ったうえで、重心を移した方が良いのではとなっているので、議論の筋道が順当だから、こういう議論は納得できる。

ただ、「これは愚論です」とはっきり言明しておいて、それを全体のコンセンサスにする必要はあるのではないだろうか。よほどの極右はともかくとして。

あとこれは蛇足かもしれないが、杉田議員への脅迫の問題で、これは当然許されないものだが、しかし他方で右翼やその支持者による野党・左派政治家への脅迫などはどうなのだろうかと思わないでもない。もちろん、どっちもどっちという議論にしたいわけでは断じてない。

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と、つい蛇足まで書きたくなるのも、左右の宣伝合戦に私自身がうんざりしているから、ということもあると思う。

https://twitter.com/adamtakahashi/status/1021962444380336131

Adam (Atsushi) Takahashi@adamtakahashi
自分たちこそ被害者で、だからこそ自分たちが敵を排除するのは正当化できる、みたいなのを連日左右がしているなかで、どう共感の領域みたいなものを広げていけるのだろうね。

自民党の現在の保守化・右傾化の背景に野党時代に支持してくれたのが、その種の傾向の強い、コアな人たちであったため、どうしてもそちらの方を向いてしまいやすい、という話があったように思う。

これと同じことは、現在の左派や野党側にもおそらく言えて、支持者として頼りになるのは傾向としてより左になるので、どうしてもそちらを向いてしまう、ということはありそうだ。

となると、穏健・中道はどうなるの?と。

この種の党派性は過激化しているように見えるわけで、これをなんとかしないといけないんだろうと思うが、どうも世界的に同じ問題がありそうなので、一筋縄では行かないんだろう。