参議院の介護負担は、実は逆効果になるかもしれない — 山中 康弘 – アゴラ

 やはり、障害当事者として、すべての障害者が働ける社会にしてほしい。

 この記事の筆者は大学院にも進学して働いている人だ。こういう人は分かる。

 

私は思う。障害があっても働ける人はまだよい。

 

しかし、そもそも働きようがない人はどうしろというのか。

 

私はただちに、絶対に働けない、働きようがない障害を抱える同年代の知人たちの顔が浮かぶ。

 

この人たちは働けないので、やはり劣等なんだろうか。本人たちのリハビリに対する努力不足なんだろうか。そうだとすれば、随分、残酷な立場だろう。

 

そうではなくて、働けなくても、生きることに意味があるのだから、まずそこから議論を始めようというのが、あるべき姿勢のはずだ。

 

私は、当事者だから信用のできる議論ができる、そういう保証があるとは、必ずしも思わない。

 

どうして、この界隈には、不可能を可能であるかのように言う人がこんなにも多いんだろうか。

 

・・・

 

私は、生活保護を受給している人たちの顔を思い浮かべる。毎日女を変えてデートに忙しいヒモのおっちゃん、そのヒモのおっちゃんのことが好きなおばちゃん、やくざ稼業から足を洗った彫りを体中に入れたおじいちゃん、クスリの売買で小金を稼ぎながら本人もヤク中のお兄ちゃん。

 

精神疾患を抱えている人たちの顔も浮かぶ。

 

この人たち、普通はどういうふうに思われてんのかな。いろんな問題をそれぞれ抱えてて、中には警察沙汰になるような人もいるとはいえ、でも生きてるだけで十分なんだけど。。。