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津田大介@tsuda
これで制度が即座に変わったらそれだけでも彼らが国会に行く意味はあったということだな。

臨時国会に「登院できない」重度障害者への制度の壁

記事を読んでも「登院できない」理由が私には理解できない。

 

仕事ができないことを理由に行政の訪問介護サービスを受けているのに、仕事を始めてしまうのでこれまでの介護サービスが受けられない、というのは当たり前の話だ。

 

そこの原則を矯めると、たとえば公平性の問題などが出てくるのではないだろうかという疑問をただちに思いつく。

 

「登院できない」理由が分からないというのは、介護サービスは別のものに切り替えたり、私費で賄えばいいのではないかと思うので、登院できないのではないのだろう。

 

現実にどういうふうに話を落とすのかはよく分からないが、これで「彼らが国会に行く意味があった」とは私には思えない。

 

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障害者を議会に送ることそれ自体は、特に珍しいものとは思わない。国際的にはドイツのショイブレ財務大臣は記憶に新しい。トレードマークとなっている車いすで、EU財務相会議ではいつも怖い顔をして、目を光らせていたものだ。

 

日本でも八代英太車いすの議員・大臣として有名で、八代は重度障害者が国会議員になることに好意的なコメントを出している。


以前の参議院選挙で、自民党乙武洋匡を候補にしようとしたことがあった。私はこの人が出始めたときから全く敬遠しており、障害の程度・有無とは関係なく批判的なのだけれども、たぶん、議員が務まるギリギリがあの人あたりではないか。それでもどうかと思う、正直言って。

 

その自民党ですら、それ以上の障害や疾病を抱える人を選挙用の目玉に擁立はしなかった。

 

ただし、山本太郎がやったことを、仮に自民党がやれば、いま批判的な連中には無理矢理擁護支持しまくる輩がうじゃうじゃ出てくるのだろうと想像するだけで不愉快である。

 

無論、その反対側についても同じ。

 

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党派的に批判する人たちは論外として、いわば当事者の立場から疑問の声がネットには上がっており、実名による記事ではない点を差っ引いたとしても、私は基本的にこの人たちに同感だ。それは一応私なりの理由はある。

 

この数年、私は思いがけず医療の世界と付き合うことになって、医者の苦労(と悪いところ)がなんとなく分かってきたところだが、難しい問題の一つは重い障害や重篤な疾病、精神疾患を抱える患者さんの受け入れについてだ。

 

患者さんの疾病障害の程度や、医者の専門分野、治療内容にももちろんよるが、私の関わっている世界では、重度の障害や重篤な疾病を抱える患者さんたちは、開業医からほとんど診療を断られているのが実態だ。(ひどいケースでは、つい最近、大学病院からほったらかしにされているのではないかと疑われる人がいた)

 

理由は障害者差別である場合もひょっとしたらあるのかもしれないが、まず100パーセント、万が一の場合の責任を負いきれないからだ。リスクが大きすぎるのである。

 

かつ、治療内容によっては、医師の身体的負担が大きすぎる点も挙げることが可能だ。

 

また、患者本人や医師のみならず、その医院で働く人たちの安全も当然に考えなければならない。医院で働く人たちは、様々な危険にさらされている現実がある。

 

そのため、いかに設備が整っており、バリアフリーもばっちりで、介助・介護の方がおられるにしても、大きな病院でもない限り、診療を断らざるを得ない場合がある。

 

と書くと怒りだす人がいるに違いないが、ちょっと待ってもらいたい。そういう医者を批判・非難することは容易なのだが、私には「それでも診療しろ」と主張する人たちの方がはるかに無責任だと思わざるを得なくなっている。

 

これに対しては、たとえば保険点数を特別に上げるなどの措置は当然考えられるところで、カネさえもらえればやる医者もいるにはいるんだろうけれども、どんなにカネを積まれても、無理なものは無理だ、別のところに行ってくれと言う方がはるかに良心的で、私が医者だったらそう言うよな、という場面はたびたびある。

 

もちろん、病院と議会では何もかも違うので、同じように論じられない。

 

しかし、バリアフリーは完璧で、人員も整いやすい、普通のそこらの病院でこうである。万が一の時のことを考えて動くのが当然だと私は思うのだが、

 

ネットを見ていると、あれだけの障害や病を抱えている人たちなのに、そういうことを考えて反応している人がどれくらいいるか、大変に心もとない。

 

山本太郎とそのブレーンたちは、そこまで考えているんだろうか。

 

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もう一点は、負担などのしわ寄せを一部の人に押し付けるのは間違っているということで、これはmachinery さんの記事を引用する。

 

machineryの日々 障害者と国会議員の役割

国会をバリアフリー化するというのは、一部に負担をしわ寄せすることではなく、全体の負担を減らしつつ、それぞれ少しずつ負担し合って個々の負担を減らすことであるべきと考えますが、そこまで議論がすすむのかは極めて疑わしいと思われます。

この言葉に尽きている。

 

私は、健常者たちがカネも手も出さず、他人に負担を押し付けておいて、あとは知らんふりか、せいぜいその障害者が何かやったときに感動して喜んでいるだけの場面を、ウンザリするほど見てきている。

 

私たちが問われているのは、日常の場面において、障害や疾病の程度の軽重に関わりなく、ハンディのある人たちに対してどう向き合うかであり、具体的にどういう行動をするかだ。普段何もしない人たちが、国会の様子をみて感動したって、私は

 

「そりゃあよかったですね」

 

としか言いようがない。普段、妊婦にすら席を譲らない人たちが何を言っているのかと。

 

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八代英太は同じ障害者としてエールを送っているが、しかしその彼にしても、

 

元祖車いす議員・八代英太氏が語る、重度障害者が国会に行く「意義」 : J-CASTニュース

「それが選挙戦略であってほしくないと思う」

とくぎを刺している。

 

しかし、実際のところ選挙戦略にしか見えない。 障害者の声を直接議会に届けるためには、何もあんな重い障害や病気を抱えた人でなければならない必要性も必然性もどこにもなかったからだ。

 

私は、やはり次の問題を、特に政治家の人たちはもっと真剣に考えて欲しいと思っている。

 

参院選を終えて: 石破茂(いしばしげる)ブログ

  島根出身の自民党候補である三浦氏は、今回導入された「特定枠」によって比例名簿上位に搭載されて最初から当選が確実視されたものの、自分の訴えも出来ず、投票用紙に名前も書いてもらえないという摩訶不思議な選挙活動しかできなかったこともあり、島根の投票率も過去最低となりました。

この「特定枠」がおかしいという指摘をあまり見ない。もちろん鳥取石破茂がそれを言うかとは思えども、しかし国会議員も「摩訶不思議な選挙活動しかできない」と言い出す「特定枠」とは何なのか。

 

八代英太だって、いくらテレビの有名人とはいえ、最初は参議院の全国区で80万人以上の人に自分の名前を書いてもらっているのだ。