「衣食足りて礼節を知る」という。管子の言葉だそうで、原義についてはよく知らないが、なるほどもっともなこととは言いながら、疑問がないわけではない。

というのも、「衣食」足りるのが、いったいどのような状態でどうなったら、そう言えるのか、よく分からないからだ。

どういう段階になったら、ようやっと「礼節」を求めることができるのだろうか。

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この「礼節」には、「衣食」の足りない人に対する配慮も含まれていなければならない。

そう考えると、「衣食」が足りてからようやっと「礼節」を求めるのではない。

そうではなくて、「衣食」と「礼節」を同時に求めなければならないのではないか、と私は思う。

少なくとも、「衣食」と「礼節」を二者択一に考えたり、あるいは「衣食」の後で「礼節」が来ると時間的な配列として考えすぎたりしない、ということが必要なのではないか。