私は地元に戻ってきて、小学校の同級生たちとの交流が復活した。大変に幸せな、恵まれたことだと思っているが、小学校の時は私はいじめられたほうの側だった。

今でこそ、みな立派な大人になっていて、私も普通に話をしているが、いじめてくるのに強烈なのが一人いた。一度小学校のプールで溺れさせられて、殺されかかったことがある。犯行現場を大人が誰も見てないので注意してくれず、幸い自力で助かったが、この大人の怠慢と不注意に本当に怒って、一人でさっさとプールから出て行ったことを、今でもよく覚えている。

私はクラス長・学級長のキャラらしくて、そういうものをずっとやっていたが、と言っていじめられっ子をまとめて抵抗したりはしなかった。ただ、変なものは変、おかしいものはおかしいとわりに口に出す子供だったのはたぶんそうで、一人で勝手に怒ったり泣いたりしていた。

先日、例によって小学校の同級生たちと飲んだとき、その中に当時のやんちゃ坊主がいた。この男は小学生のころは、小さくてやせていて、頭は三分刈り、口を開けば決して美しいとはいえない当地の方言で罵倒しまくって、先生の前では怒られるような悪い事しかしなかった。

その彼が、殺人未遂を起こしたバカのことを思い起こして、私にこう言った。

「その、プールから怒って出るみたいな、あんたみたいにはっきり口に出して態度にだすとか、それが俺にはできひんかった。あいつには抵抗できひんかってんわ。今思てもあんたえらいわ」

この元やんちゃ坊主は、今は会社勤めの家庭持ちとして立派な大人になっている。それがこういうことを言う。

似たようなことを言うのは彼一人ではなくて、当時の同級生には、

「あの頃はひどいことをやって今さら会わせる顔がない」

と恥じ入るのもいる。こちらは何とも思ってないのに。

別に私に正義感が特別あったとは思わない。単に、意地っ張りで気が強かっただけではないかと思うが、それでも変な判断は子供ながらしていなかったようではある。

ここで強調しておきたいのは、そういう自分で通して、結局、嫌われる、ということはなかった。むしろやんちゃで、どちらかというといじめるタイプの子供が、私のことを理解していたとは想像もしていなかった。

私をプールで殺そうとした人間だけは、いまだに断固として許していない。昔のことじゃないか、で済ますことは到底できないし、それで片付く問題にしてはいけない。ケツの穴が小さいと言われても構わない。

それ以外の同級生たちについてはこちらは何とも思っていないし、当時もそう深刻に受け止めてなかったので、小学校の同級生たちとの交流が復活したことを心から喜んで満足している。

私の経験を一般化するつもりはない。

ただ、どう言えばいいのかわからないが、何か善いもの、正しいものに対する信頼が子供の時にあり、周囲もその信頼を共有していたことが今にして分かった、ということは言えるようだ。

こういう性格は、実際の世間では非常に損だ。経済的にも社会的にも損になることが多い。もっと上手に立ち回れば、と自分でも思うくらいだ。

しかしそれはそれで構わない。カネや名誉だけがこの世のすべてではないからだ。

理解のある友人たちに囲まれて、非常に幸せを感じている。そのことの方がはるかに重要だと信じている。