同和問題を「関西の闇」云々というのはそもそも間違っていて、私からすると闇でも何でもない。そこらへんに転がっている話だ。

私の住んでいる町は、3人に1人程度は部落の人なんだそうだ。

部落と言ってもいろいろで、自分は代々の皮工場を継いでいるが、子供を立派に育てて、差別とは無縁の世界に出した人。他方で、他人に偉そうに言って少しでも利益をかすめ取ろうとする、ろくでもない人。いろいろいる。

私は普段、子供と接触することが多いが、名前や親の職業から、部落関係だと分かる場合も少なくない。と言って、私が差別的な態度をとることは、もちろん一切ない。それどころか、いろいろ事情を察して子供の悩みを共有することがある。子供だから何も分かっていないし、分からないほうがいいが、しかし問題が出てくるのだ。所詮、他人の私にはどうしようもなくて、一緒に悩むくらいしかできない。

私の知っている世間はごくごく狭いものだけれども、「関西の闇」「大阪の闇」と言った表現で分かったようなことを言うのはいかがなものか。

少なくとも私にとっては、日の光にしっかり照らされた現実で、「闇」どころではない。