網野善彦と言えば「異形の王権」「無縁・公界・楽」「日本社会の歴史」「日本の歴史をよみなおす」等々が挙げられるだろうが、こういった一般向けに書かれたものは一読、面白い。あまりにも面白すぎる。

 

ただ、網野が提起していったような問題は、一つ一つが非常に込み入った問題で、史家の間でも議論が尽きない。遊女の起源の問題なぞはその一つで私ですらやや首を傾げるところがあるし、被差別部落の問題に至っては込み入った議論があるはずで容易に手出しができない。

 

こういったことを細かく掬い上げていくことは、一読者の私には到底不可能だ。

 

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かつ、あまりにも面白すぎるというところで終わってはいけないはずだった。

 

網野自身がどこかで書いていたが、彼が追及していたいわゆる「非農業民」の世界や、荘園公領制の下で展開していたきわめて多様な経済活動の問題など、最終的にはこれを全体の中でどう位置付けていくかという大きな課題があった。

 

これは、網野が批判的だった戦後の歴史学や主流となっていた歴史学の成果を当然取り入れないと論ずることができない課題で、構想としてはまことに雄大だったわけだが、網野は結局その課題について十分に書けないまま死んでしまったように思う。

 

網野の数々の問題提起自体、いかに歴史家として巨人であるとしても、一人の人間の手には余るものであったに相違ないが、しかし確かに議論の筋道として最後はそういう課題が当然出てくるはずであるように、私には読めた。

 

 もちろん、私は単なる面白がりにすぎない。

 

ただ、単なる面白がりの読み手としては、そういう限界を、把握しておくことが肝要だろうと思う。 でないと、最低限の留保もぶっ飛んでしまい、あとは心酔するだけ、みたいなことになりかねないし、事実そういうことがよくある。

 

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しかし網野善彦について書いているのは、網野のことを書きたいからではない。全く別のことを書きたいがために、網野を持ち出しているだけだ。