前の外務大臣岸田文雄の英語をYoutubeで聞いたらずっこけた。まあ人のことは全く言えないわけだが。

それで気になってWikipediaを見てみたら、小学校低学年のときにニューヨークのパブリックスクールに行っている。
岸田文雄 - Wikipedia

そこから日本に戻ってきて、開成から東大じゃなくて早稲田に行ったというのでまたずっこけた。早稲田のあとは、日本長期信用銀行

岸田文雄宏池会系列なので安倍よりましなのではと安心している人もいるが、もうこういう、コネまみれの3代目とかいう人しか総理大臣にはなれんのか。一体これは何なのか。

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たぶん関係あると思うが、日本人を見ていると、あんたがたには、これだけは絶対に譲れない、命がけでもこれだけは言う、ということがないんか、と思う。

常に口先と見た目でいかにごまかすかしか考えてない。カッコをつけることしか考えてない。

いや、それはお前の好きな「欧米」だってと言われるかもしれないが、あの人たちは、あえて言えば、口先と見た目に命を賭けるところがある。

それに引き換え、日本人はそこまではしない。

それは命がけでなくても、必死にならなくても、なんだかんだで死なずに済んで、十分に生きていけるのが大多数だからで、だからいろいろとナメてかかるようになってきている、というのが一つあると思う。

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必死になると言っても、せいぜい学校の部活で愚かなコーチにしごかれるというタイプの、またその延長線上の必死さでしかない。そうではない。

そうではなくて、自分のすべての存在を賭けるということがない。人間、生きているなら、まず自分があって、自分から湧き出てくるものがあって、生きている以上、その湧き出てくるものを必死で守る、そのためにすべてを賭ける、ということがないと、生きている意味がないじゃないか。

今の日本人には、その自分の中から湧き出てくるものそのものが枯れているように見える。だから必死になりようがない。

今の日本人は、無駄に自分から死にに行くことで必死アピールになっていると考えている節があるが、それは絶対に間違っている。必死ならば、無駄に自分から死ににいったりしない。生きないと、意味がないから。