立憲・枝野代表「私は保守」「30年前なら自民党宏池会ですよ」 : スポーツ報知

番組では、枝野代表の座右の銘飛鳥時代聖徳太子が制定したとされる十七条憲法冒頭「以和為貴(和を以て貴しとなす)」と紹介。枝野代表は「日本の一番古い政治方針です。私は和を以て貴しとなす以来、日本の歴史と伝統は『リベラル』だと思っています」と説明した。

 枝野代表は「そもそも保守系とリベラル系を対立させる概念で置くこと自体が間違っている」と指摘。自身が「保守である」と定義した上で「少なくとも私もリベラルではあるとも思っているんですよ、自分のこと。多様性を認めて寛容で社会的な助け合いを大事にする。30年前なら自民党宏池会ですよ。大平正芳さんを保守系でないといいますか? という話なので」と解説した。

https://twitter.com/democrat_aka/status/923880617518841857

QusAka@democrat_aka
ちなみに枝野さんは天皇を元首として憲法で明記する考えについて、「天皇は他国の王室と比べても歴史があって特別なのに、あえて他国と同列の元首にしてしまうのはどうなのか」という超絶保守っぽい理論で疑義をていされています。この人のこと左翼って呼んだ人ちょっとこっちまで来なさい。

写真でアップされているところを引用する。

そのうえで、元首というような言葉を天皇制のあらわし方として憲法に書くことがいいのかどうかということですが、私は、ちょっと違った視点からこのことについて論じたいと思っております。
 というのは、いずれにしても元首ということあは、横並び、つまり国際的な横並びの言葉だと思います。他国の代表者、例えば大統領とか国王とかを元首と呼ぶのか呼ばないのかという意味では、外国との横並びだと思います。
 日本の天皇制が各国のいわゆる王室などと比較して圧倒的に長期にわたって継続をしていることの意味は、あるいは根拠はどこにあるのかといえば、やはり違うものだ。つまり、ヨーロッパの王制であったり、中国の皇帝であったり、あるいは朝鮮半島において幾つかあった王朝であったりというものと明らかに違う天皇という存在で日本は位置づけてきたということが、たくさんの王室、王族が各国において変わっていった中で日本の天皇制だけは継続をしてきたということなのではないだろうかと思います。
 そうした中で、各国のトップと横並びに天皇の意味づけをしてしまう表現の仕方をするということは、私は、かえって天皇制の安定あるいは天皇制の特殊性というものをふさいでしまうことにならないかということを危惧いたします。
 実は、象徴という言葉がよかったのかどうかわかりませんけれども、日本の天皇はヨーロッパの王制や中国の皇帝とは違うんだということで別の言葉で日本国憲法に書いたということは、私は、結果的に非常によかったし、そのことは国民的にも定着をしているんだというふうに思いますので、あえて、天皇の地位を他国の大統領や他国の国王と横並びに扱うような元首という言葉を使うべきではない、そういうふうに思います。

写真だけなので、本当に枝野の引用かどうかわからないが、そうだとして、あるいはいつの文章か分からないがそれは置いておいて、枝野自身の問題もあるけれども、一般に左派と目される人たちが支持している政党の党首がこれだということの問題が大きい。

ナショナリズムを刺激する「なんちゃって」歴史や、皇室を他国の王室と異なる特別扱いをしたがる心情などが明白で、むしろ日本の左派がいかに右派と近いかを端的に示している。

もちろん、選挙中に小林よしのりなどに演説させたのも、右側も取り入れたい選挙戦術なのはよく理解でき、それは上の「和をもって貴しとなす」の話でも同じだけれども、単なる選挙戦術に収まらない。

こういう言説でナショナリズムを刺激する方法が右も左も共通なのは洋の東西を問わずよくある話であって、難しい問題がいろいろあるけれども、ほとんど根拠のない「神話」や「伝統」でナショナリズムを煽りたがるのは問題が大きすぎる。こんなことでいいわけがないんだが、政治家が平然とこういうふうに語って、あまり批判されずに、実際に支持を得てしまうあたり、相当絶望する。

安倍さんやその周辺の右翼ぶりを、なんで左翼が批判できるのだろうか。