昨日の続き
finalventさんは、自分で自分なりに勉強して考えて、腑に落ちたものだけを自分のものとしようという人のはずなので、だからインテリによくある左翼の枠を強制されるなどというのは断固拒否するし、正義が昂進して徒党をもって誰かを攻撃することにもきわめて注意深い。その辺は私もよく分かるところだ。

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しかし他方で問題もあって、一言で言えば独学の弊というやつがありそうだ。私は大学でちっとも勉強しなかったが、finalventさんは真面目に勉強した人なのでえらいと思うんだが、それでも思い出すのは、

昔、twitter で、finalvent さんがキリスト教の起源のようなものについて独自の見解を述べたときに、聖書学者から「素人の与太話」と瞬殺されていたことがあった。

私は「素人の与太話」が大好きで、他人が語るのはもちろん、自分でもそんなことをいい加減にしょっちゅう言っているが、しかし所詮は「素人の与太話」と瞬殺される程度のものであることは知っている。

もっとも、キリスト教の起源とかそういうことであれば、独学の弊と言ってもたいして問題はない。あはは、と笑って終わる。

問題が出てきそうなのはちょっと違う場面かもしれない。

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これを書きながらつらつら思い出すのは、菅内閣仙谷由人官房長官が「自衛隊暴力装置」と言った発言に関するfinalventさんの振る舞いだ。

今でもブログに残っている。
自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。: 極東ブログ
自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる: 極東ブログ

簡単に言えば、マックス・ヴェーバーに従うと、自衛隊暴力装置ではなくて暴力であって、暴力装置なのは国家のほうだろう、ということだと思う。

私も、まあそういうことなんだろうと当時は思ったが、今見ると実にくだらないツッコミだ。

自衛隊暴力装置」と言って批判されたのは、要するに右サイドが「国家防衛に努めている自衛隊暴力装置とは何たる暴言!」と反応したからそうなったんだろうが、この右サイドの反応があほらしいのは、上記のブログ内でも出てくる、大屋雄裕のブログ記事にも明らかだ。

finalvent さんのツッコミがなぜ「実にくだらない」かというと、「自衛隊暴力装置などとはけしからん」という人たちの間違いと、「自衛隊暴力装置」というのはウェーバーに従っているからだという人たちの間違いと、その度合いは当然前者のほうが大きく、後者のほうがはるかに小さい。

少なくとも、仙谷さんは学者として学会で発言したとか、そういうことではないので、こんなことは突っ込むのもバカらしい程度でしかない。

ではなんで突っ込んだのかというと、こういうことだろう。
第2次菅改造内閣、何それ、食えるの?: 極東ブログ

 こんなに面白い官房長官はかつてなかったのに。個人的には「柳腰外交」はシンプルに爆笑したけど、「自衛隊暴力装置発言」には深い味わいがありました。昔の左翼用語をぺろっと言ってしまったのはお里が知れるで終わりなのに、「あれはマックス・ウェーバーの言葉だ」とかね。マックス・ウェーバー読んでないのがよくわかるその場しのぎの言動にはあっぱれなものがありましたが、さて政治家として見ると、意外やそれほどブレがなく、よく菅内閣を支えてきた。なにより、小沢さんを下した力量はお見事でした。お疲れ様。

仙谷さんを政治家としては評価するものの、ようは「昔の左翼用語をペロっと言っ」ただけだろう、ごまかすんじゃないよということだった。

・・・単に、左翼を茶化したいだけの揚げ足取りでしかない。それで2本もブログを書いて、twitter でもねちねち書いていたのだった。バカバカしい。

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似たような揚げ足とりは、最近も見た。たとえばこれ。

https://twitter.com/finalvent/status/906448848733618176

finalvent@finalvent
このTweetの「清教徒革命」の意味がわからない。前後のTweetから察するに、昨今の不倫話題で使われてる印象がある。清教徒革命は歴史的に理解したほうがいい。現在の世界史では、English Civil Warとして扱われる。

小田嶋隆 @tako_ashi
まさか21世紀に清教徒革命が起こるとは思ってなかったでござる

これは、山尾志桜里の不倫スキャンダルが出たときの小田嶋隆の反応に、finalventさんがコメントを付けたものだ。周知のように小田嶋は安倍内閣に極めて批判的で、山本一郎から共産党扱いされていたように思うが(あれもひどかった)、ここで「清教徒革命」と言っているのはようするに、厳格な倫理を他人に厳しく求める輩が多すぎるアホと違うんかという皮肉、程度の意味だろう。

そこにfinalventさんがこういうtweetをつけているわけだ。

私はたまたま、エリザベス朝以降の英国の歴史をざっくり勉強しなおして見たところで、昔学校の世界史で勉強したことと随分イメージが違って大変面白かった。不勉強な私には、世の中には面白いことがたくさんあって飽きない。

そこでだが、「清教徒革命」の意味が分からない、とわざわざここに書く意味があるか。たしかに、最近の英国史ではそういう扱いになっているだろうが、そんなことを書いて、だから何なんだろう。

単なる知識自慢?そこまで左翼を茶化したいの?

いや、そこまでのつもりはなくて軽い冗談、ということなのだろうと思うが、根は「暴力装置」に突っ込むのと同じだろう。

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こういうくだらない、ささいな部分へのツッコミは入れる割に、肝心なところは全くスルーする。

リフレ派の議論にはまったくツッコミを入れない。なるほど、高橋洋一田中秀臣だけでなくて、バーナンキクルーグマンもFTも読んでいるが、そこで止まっていて、反対論との対話が結局ない。で、日銀の緩和政策がうまくいかないのは消費税のせい、というところから話が進まない。

こういうのを「独学の弊」とでも言うのではないか。

聖書学の先生が「素人の与太話」と瞬殺してくれるのはありがたい話なんだが、この話題ではそういうことにまずならない。なにせ、リフレ派のプロパガンダがとりわけネットにはあふれていて、全部なぁなぁで済ませることができる。それが安倍内閣への評価につながっているようにしか見えない。

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こういう歪みが、finalventさんにはあって、政治経済ネタに限らず、私はそんな歪みに常々注意することにしている。

もちろん、ネットでものを書くのにもっといい加減な人はいくらもあり、私なんぞはいい加減の極みで人のことは言えないのはよく承知している。

しかし、山本一郎が「雑多なネタも本質の話にきちんと回帰させる往年のキレ」と言ったとき、その「本質」というのは、finalventさんのバイアスや歪みの部分、山本にとって都合よく使える部分のことではないかと強く疑った。たぶん、finalventさんのいいところというのはもうちょっと別のところにありそうだ。それでああいう持ち上げ方を見たときに、これは書いておいたほうがいいだろうと思った。持ち上げられているものを引きずり降ろしておくのが、私は好きな性分だ。