ファシズムが支持された理由の一つに、社会主義者・左翼への失望というのがある。

1918年に第一次大戦が終わったとき、イタリアは戦時経済で、これを平時のそれに変えなければならなかったこともあって、経済的困難に直面することになった。給与削減、失業、物価高などの問題が表面化した。

また、イタリアは一応は戦勝国として戦争を終えたが、最後の最後にギリギリ勝てただけで、戦況を見て独墺との同盟関係を破棄して、英仏側に立って途中参戦したにすぎず、大きな犠牲を払ったにもかかわらず、戦後は期待されたような「戦利品」を獲得することができなかった。

イタリア社会党などの左翼は、基本的には参戦に慎重な立場だった。そのため、イタリアの「不完全な勝利」を目の前に、有利な立場に立つことができた。「だから言ったじゃないか」と言えたのだった。

そこで大戦後の2年間はスト・工場占拠などの労働運動が非常に活発になった。革命を実現させたロシア人の後を追え、という時代の空気である。

ところが、この有利な状況を左翼は利用することができなかった。議会では旧来の支配層と手を握るしか議会を動かすことができないうえ、革命を起こす気はなく、戦争から帰還した兵士たちの期待もプライドも考えない政治的無策ぶりで、左派政党は支持者を失望させることになった。

そこで失望した人たちが、どっとファシズムに流れ込んだ。

ファシズムは、なによりムッソリーニの来歴が示すように、その根に左派の影響があり、ただナショナリズムによる扇動だけではなく、「革命」も重要な要素の一つだ。左派がファシズムを支持しても、おかしくはなかったのだった。

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無論、時代の空気を察知して、あっという間に支持を拡大したムッソリーニの政治的嗅覚の鋭さもさることながら、左派政党・政治家たちの失敗の要素も小さくない。

左派がうまく支持者をつなぎとめることができなかったことが、ファシズムを招来してしまったのである。