https://twitter.com/noboru_kisaragi/status/905104195597901824

如月陽(マルセル)‏ @noboru_kisarag
戦前、ナチとムッソリーニが台頭するまで、ファシズムは真っ当な考え方だったようです。

何を見てこういう話が出てきたのかよく分からないが、ファシズムが「真っ当な考え方」だったことは、おそらく一度もない。ただ、当時、共産主義者による革命が現実味を帯びた脅威ととくに資本家層支配層に感じられており、ファシズム共産主義に対する防波堤とみなされていた。それでファシズムを褒める人が当時の欧州には少なくなく、チャーチルもその一人だった。

・・・

ルイージ・サルヴァトレッリ というジャーナリストが、1923年、つまりファシストがローマ進軍を行い政権奪取した翌年に書いた論考が非常に面白い。ファシズムの支持層として、レンツォ・デ・フェリーチェはプチブル階級の影響を常に大きく見ているが、そのデ・フェリーチェが大筋で賛成するというのがこのサルヴァトレッリだ。

私も少し読んでみて、思わず吹き出したんだが、サルヴァトレッリによると、プチブルと言っても二種類に分類され、一つは公務員や技術職の人たち、もう一つが弁護士・医者・教師などで、後者が特に問題で「人文主義的」プチブルとしている。

この「人文主義的」プチブルは、日本で言うところの文系で、古典教育をみっちり受ける学校に通っていたものの、いわば「論語読みの論語知らず」になっている。文学といえばただ文法と形式だけで中身は理解せず、歴史といえば年号と王様の名前を暗記しているばかりで複雑な深い流れを全く理解しない、「サルでも分かる」ように編集された歴史などを読んで表面的な理解にとどまって知ったかぶりをしている。

この「人文主義的」プチブルたちは、頭の中にある観念が絶対で、現実とぶつかったときにむしろ現実を否定してしまうから、暴力的な挙動に出るのだ云々。

おおざっぱにまとめるとそういうことになるだろうが、これを見て笑った。

人のことは言えない、我が身につまされることだとはいえ、ネット・ウォッチをしている中で見てきたのは、ほとんどこの「人文主義的」プチブルたちだからだ。たとえば職業が金融業のような高学歴・高収入そうな人たちでもそうだったし、大学の先生なども専門以外では随分なことを言っていると思うことがよくあった。

Twitter で行われている会話の多くが、サルヴァトレッリの指摘するようなおしゃべりだと言ってよい。

ファシズムを支持した人たちの問題というのは、これはこれで興味深い問題であり、またきわめて複雑で議論も盛んであると思う。ところが、私が従来関心を持っていた、ネット右翼の問題や、より広くネットにおける徒党の問題に、ファシズムの支持層の問題が、もちろんダイレクトではないが、きわめて示唆的につながってくるのを感じるのである。