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須賀原洋行 @tebasakitoriri
日本人にとって「ナチス」なんてのは他のあまたある歴史的存在とともに、表現の自由におけるただの素材、手段に過ぎないのではなかろうか。なぜ、欧米人の異常とも言えるナチス恐怖症につきあわねばならないのか。香山リカさんは日本人でありながら、なぜ欧米の感覚に乗っかり、日本叩きに専念するのか

以前、麻生太郎ナチス絡みの放言をしたとき、ヨーロッパと日本の文脈の違いから、「ナチス」と言ってヨーロッパと同じように批判できないのではないかと思ったことはある。ヨーロッパではサッカー選手が背番号をうっかり88番にしただけで批判される。そういう状況に日本はない。

しかも、日本人は第二次大戦と言えば、やむを得ないこととは言いながら、太平洋や大陸での戦争が中心で、ヨーロッパについては全くと言っていいほど語られることはない。これだけ無知だと、「ナチス」がネタ扱いでもやむを得ない面もあるのかもしれない。

ただ、私は「欧米人の異常とも言えるナチス恐怖症」と思ったことはない。こういうことを言えてしまうのは単に第二次大戦の歴史とその後の戦後秩序の成立を全く理解していないだけだが、しかし現実にはこのように考えている日本人が結構たくさんいるのではないか。

第二次大戦は、最初から、全体主義ファシズムの枢軸国と、それを打倒するその他の連合国とが闘われた戦争、というわけではなかった。

そのようなイデオロギーによる意味づけは戦中に途中から出てきたもので、最初は力と力の争いでしかない。

日本人は、戦争で死んだ人たちは国のために死んだんだからとか、日本の戦争責任を問うならアメリカの原爆はどうだ都市空襲はどうだと言いたがるのだが、これは力と力の戦争という意味合いのみを意識して、敵味方を相対化し、清算しようという立場といえるのかもしれない。こういう議論であれば、自分だけでなく、アメリカなど連合国側も巻き込んで、いわば「どっちもどっち」の自分に甘い話になる。喧嘩両成敗、ときれいに言えば言える。

ところが、第二次大戦は単純な力と力の戦争ではなかった。全体主義ファシズムの打倒という名目がついてしまった戦争で、現実に枢軸国側は全面的に敗戦した。

その結果、ドイツ・イタリア・日本の敗戦国は、敵国のイデオロギーである民主主義にいわば「宗旨替え」してしまう。

個人でもそうなんじゃないかと思うが、それまで言ってきたことをコロッと変えて、他の人の言うことに従うにはそれなりの言い訳が必要で、特に戦争で負けて「宗旨替え」してしまうと、「宗旨替え」の条件がいろいろ出てくる。

その条件の一つに、戦争を始めて種々の惨禍や戦争犯罪を引き起こした責任を痛感し反省し続ける、というものがあるのはやむをえない。「宗旨替え」の直接の理由は戦争で負けたことであり、かつ敵国の考えに「宗旨替え」するのであるから、こういう話になるのはむしろ当然だ。

ここのところを、日本人はよく分かっていない。戦後、西側の自由主義・民主主義陣営の中に入るということはそういうことであって、ドイツはその点をよく分かっているし、ここがないとEUのような、独仏を合体させて無理やりにでも欧州で戦争を起こさせないようにするという事業はとても出てこない。逆に言えば、ドイツが「戦争が終わって70年たったんだからもういいじゃないか」と言い出すと、EUは即座に瓦解する。

ナチスの問題についても同様で、島国の日本人は、戦後の文脈における日本の地位なぞまったく理解していないのと同様、ナチスナチスが戦後に与えた影響などまったく無知だ。

このような断層をどうすればいいのだろうかというのが、私の長らくの疑問だ。

ただ、戦後の秩序が成立する際、冷戦の影響もあって種々の「神話」ができたのはやむを得ない次第だった。イタリアでも、ファシズムは悪だという認識で止まってしまい、あるいは共産党の公式見解から出ることが難しいような空気などなどのために、学問的にも議論が進みにくく、ドイツやイギリスなどの進んだファシズム研究がイタリアに与えた影響が存外少なかったらしいのも、故ないことではない。

日本でも同じだと思う。種々の「神話」が出来てそこで認識が止まってしまったり、あるいはその反動が行き過ぎてしまったり、ということがある。

もっとも、注意が必要なのは、「神話」を乗り越えると言った時に、いわゆる歴史修正主義を支持するとか、過去を是認するために反省は必要ない、などと言いたいのではない。

上のような「欧米人の異常とも言えるナチス恐怖症」と言えてしまう日本人の持っている認識のずれ、島国の住民たちだけでうっとりできる甘い幻想、本当に問題なのはここで、これをなんとかしないとどうにもならないのではないか、ただ日本の政治家がナチスをネタに放言したなどに対する批判だけでは、なんともならないのではないか。