ユダヤ人差別の問題は非常に難しくて、不勉強のためにとてもここで書くことはできないが、ムッソリーニファシズム時代とユダヤ人差別の問題も議論が絶えないテーマの一つだろう。

たとえば、ムッソリーニが若いころ、ユダヤ人に対して差別的言辞を吐いていたりするが、これをどう評価するかで分かれる。当時の社会主義の活動家や当時の意識としてはよくある程度だったと見るか、そうではなくてムッソリーニは当初よりユダヤ人を差別しているのだからのちのちファシズム政権の本質にも関わる問題だと見るか、という議論になる。

無論、ここでその議論をするわけにはいかず、その能力も私にはないが、ムッソリーニヒットラーナチスの流儀のユダヤ人差別とは全く異なっていたことは言える。たとえば、政権に対するコンセンサスを得る一手段として、ユダヤ人団体と友好関係を結んでいた時期があった。1938年に人種差別に関する法が定められた後も、なにかとユダヤ人には便宜を図ろうとしていたうえ、なによりムッソリーニの愛人にユダヤ人が何人かおり、そのうちの一人は長年の愛人兼アドバイザーだったマルゲリータ・サルファッティだ。

つまり、当時の人がユダヤ人に関する差別的な言辞に日常的に触れて、あるいはその種の本を熱心に読んだとして、ではユダヤ人撲滅のために強制収容所に入れて大量虐殺しますかというと、そう一直線に行く話ではない。

つまり、ムッソリーニヒットラーの差はそこにもありそうであって、何がヒットラーを民族撲滅まで駆り立てたのかについて、そういう研究はたくさんあるんだろうが、おそらくはそれほど簡単な問題ではないんだろう、と思う。