呑兵衛雑談(3)「リフレ左派」の悩みをあえて突っぱねる

では安倍さんはどうなるのかとなると、橋下のような形でポピュリズムをやっているわけではないし、彼の根はポピュリストというよりもナショナリストにしか見えない。

だから、ナショナリストとしてどういう問題があるかという批判ならやりやすい。

ただ、ネットリフレ派のようなポピュリズムそのものの言説が極右と結びつき、それが安倍さんの支持者と重なった、ということをどう解せばいいのだろうか、とは思っている。

・・・

元来、リフレ論に親和性があるのは左だと思うけれども、「切れば血の出るリアルポリティクス」の結果、リフレ派は極右とつるんだ。

それで現状、どうなっているかというと、右翼からいえば、支持している安倍がとる政策であるリフレはいいに決まっている、それを批判する左翼はアホだ、という話に単純になっている。

繰り返すが、私はリフレ論そのものを論じる資格はないし、現状について分析して見せることもできない。そのうえで、上のような判断は単なる党派性からくる判断で、それ以外に大きな根拠は特にないと思う。いろいろ言う人をTwitter上で私も見聞したが、「あんたそれ、もし民主党が主張してたらぼろくそに言うてるんちゃうのん?」と言いたくなる時が非常に多かった。もちろん、単なる党派性からくる判断を左もやっているので、両者とも同じだ。

そんなことでいいのだろうかというと、いいわけがない。

・・・

右翼の安倍晋三がリフレをやっているので、経済的に左の人たちはかなり気持ちの悪い思いをしている人が少なくない。もちろん、これまでのネット・リフレ派の行状からリフレ論それ自体は維持するとしてリフレ派を見限ってしまった人もかなり多い。

そこでつらつらと考えてみると、結局この話は以前からある、極右とつるんだリフレ派に対して左派がしかけた論争に帰結する。そうなると、久しぶりに bewaad さんでも頼りたくなる。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100818/p1
まず、この記事の日付が「2010-08-18」になっていることに注意したい。bewaad さんが「無期限休筆宣言」をしたのが同年の7月21日で、最後の記事が翌年、震災を挟んで4月25日にアップされている。

思えば遠いところにきたもんだと、たった4年の話だけれども、そう嘆じざるを得ない。

さて、この記事で bewaad さんは次のように書いている。

大同団結せよ、との呼びかけは、数多くの賛同者がいるという状況を現出させるために政治的リソースをよこせ、ということと同じです。リフレ政策の実現がセカンドプライオリティの人にとって、では、その政治的リソースを与えることの見返りは何なのでしょうか? リフレ政策の実現が所得再分配の強化につながるのであれば、ギブ&テイクだということになりますが、何ら無関係というのであればまだしも(それにしても、リソースの機会費用が生じます)、リフレ政策の実現がかえって所得再分配の強化の妨げになるならば、リソースを自らの望まぬ方向に費やされるわけで、踏んだり蹴ったりです。

今、「リフレはいいけどそれ以外は」とうめいている人たちの状態がこれだと思う。何の見返りもないからうめく。

そうした懸念を有している人々に、そもそも呉越同舟なんだよ、小異を捨てて大同につこうという説得が効かないのは、当然ではないでしょうか。そもそも、ある人にとって「大」であることを、捨てることが可能な「小」だとみなすこと自体、反感を買いこそすれ、賛同を集めることに貢献するはずもないのです。

そこで、エイヤッと「大」をとった人もいたに相違ないが、そういう人が余計に「踏んだり蹴ったり」になっていることは想像に難くない。

・・・

私は、自分では中道右派だと思っていて、左派は好まないので、政党でいえば自民党に近いと思う。

とはいえ、民主党政権を党派的発想から全否定するという気にもならない人間で、菅総理の評判はむやみに悪いけれども、たとえば原発事故後に東京電力の本社に政府東電の統合本部を作らせたことはよかったと思う。また、私は原発事故の経緯を見ていて、本当に日本は終わってしまったと思った瞬間があったが、今でもこうして生きていられる、お酒が飲めるのは、民主党の人たちがそれなりに頑張ったからこそだろうと思っている。

それと同じ発想が、リフレはいいけど安倍晋三は嫌だという人たちにできるかどうか。できないだろうし、私の例と少し異なるのではないかという気がする。

・・・

私の例は、民主党政権を眺めながらいいものはいいと言えばいいんじゃないのということで、別に「プライオリティ」は特になかった。

他方、リフレ派で悩んでいる人たちは、すでに「プライオリティ」を有していて、そこで「大同小異」「呉越同舟」だと言われて、エイヤッと「大」のほうに行ってしまった人たちだ。私の場合と順番が逆、とでも言えばいいか、とにかくまったく状況が違う。

はっきり言ってしまえば、エイヤッと「大」に行った人は、そういう選択をしたのはあなたなんだから、あなたの責任で苦しんでください、というしかないんじゃないだろうか。

・・・

bewaad さんのブログを久しぶりに見て、これが4年前の記事であることに驚いてしまったんだが、しかし眺めているとリフレ派の連中は4年前の民主党政権のころからすでにあのザマだったのだと改めて思った。

リフレ派は、リフレ論そのものはともかく、単なるポピュリズムの集団、扇動家の集団で、それを支持しているのはその扇動に乗った人たちだった。それに嫌気がさして、bewaad さんは口を閉ざしてしまった。

もしも、まじめにリフレを希望するならば、もっと早い段階であの人たちを批判しておくべきだった。妙な手加減などする必要はなかった。bewaad さんですら、リンクした記事の最後に、

折にふれwebmasterが飯田先生はすばらしいなぁと申し上げているのは、多分、この辺りの機微に飯田先生は自覚的で、雨宮処凛さんや湯浅誠さんとの対談では、それぞれのトッププライオリティを相当程度尊重されています。勝手なwebmasterの思い込みではありますが、本田先生とのあれこれのやりとりからblog閉鎖に至った一連の経緯を飯田先生は重く受け止めて、今に活かされているのではないでしょうか。

と遠慮したことを書いている。が、今やワイドショーにコメンテーターとして出演し、番組で紹介された地方の食材がうまそうだといって調子を合わせて歓声を上げるお人のゆるい顔を見て、bewaad さんは一体なんと言われるのか。

とにかく、今さら「呉越同舟」「大同小異」を悔やんだところでもう遅いのだ。引き返すべきところは、ずっとずっとずーーーーっと前にあった。そこで引き返さなかったのが悪いのだ。

「そこで引き返さなかった」というのはどういう意味か。

それは、リフレ派のポピュリズムに結果的に手を貸したということと同義だ。そんなつもりはなかったと言われるかもしれないが、「リフレこそが」という扇動にやられたあなたが悪い、としか言いようがない。

・・・

エリートできっと少しお人よしの bewaad さんは、リフレ派の先生たちはもうちょっとまともだと思っていたはずで、だから2011年4月まではきちんとおかしいことはおかしいと言い続けた。そして、自分の人物評価が全く間違っていたことがはっきりして、これはどうにもならないと悟った時に、完全に口をつぐんでしまった。

ちなみに、私が初めにこのブログでリフレ派に触れたのは、2009年5月20日だ。
あれもいやこれもいや - 今日の雑談

経済学なんて全然知らないのでなんだが、田中秀臣先生のブログとか、はじめのうちは面白がって読んでた。あといわゆるリフレ派の人たちのブログも。ま、今でも見てるけども、最近毒気にあてられてきたというか、疲れる。

私はここから、ネットリフレ派を明確に批判するようになるのに、まだ時間がかかった。2010年7月13日に「ネット○○派」シリーズ第一回でリフレ派を茶化し始めた。取り上げたのは「『リフレ派』は何をやってるんだろう」という増田の記事だ。

よく覚えていないが、おそらく09年の時点でもリフレ派は相当におかしかったのではないか。引き返す地点はずーっと前にあったはずだという、根拠の一つにはなるのではないかと思う。

・・・

「リフレこそ最優先課題」「呉越同舟」「大同小異」といった煽りは、複雑な話を単純化して煽りをかけた点で明確に批判されるべきポピュリズムだった。それを指摘・批判して引き返すタイミングはもっと早くにあった。実際、気が付いた人の多くはリフレ派から離れていった。

離れなかった人は、結果的にポピュリズムに手を貸した。失礼ながら、深く反省してください、とでも言うより他ない。