雑感

リフレ派の諸先生がたが、こうもいい加減なのは、一つの理由としては経済学者やその種の世界なんて、こんなもんだということがあるんだろうと思う。

クルーグマンは日本でも有名なノーベル賞経済学者で、今ではネットで彼のコラムを日本語に翻訳してくれる有志がいる。私も彼の著作は山形浩生の訳などで読んだ。

しかし、この人はユーロ危機におけるギリシアの扱いで何を言ったかというと、2012年6月にはギリシアはユーロから離脱すると言った。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M3ZOCK1A1I4H01.html

 5月14日(ブルームバーグ):ノーベル経済学賞受賞者で米プリンストン大学教授のポール・クルーグマン氏は、ギリシャが「恐らく」6月にユーロ圏を離脱するだろうとの見解を示した。米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)のブログに掲載した匿名の人々とのディスカッションで明らかにした。

しかし、現実は、ギリギリのところを通過したが、全く異なっているのはご覧のとおりである。

とはいえ、ユーロ危機の見通しを誤ったのはクルーグマンのみならず、米国の経済学者の多数派は誤っていたそうで、ユーロをウォッチしている人は見方がいささか異なったそうだ。そう主張する米国のアナリストの記事があったけれども、今すぐリンクが出てこない。

そういうものなのであって、いかにノーベル経済学賞とはいえ、相対的に読まないといけないとこの時は痛感させられた。

それだけでなく、個人的に私がとりわけいらだったのは「クルーグマン先生、そこまでおっしゃるなら、あなたの名前でお金を集めて、それで南欧の債券を買ったらどうです?大丈夫なんでしょう?」「先生のお名前で是非とも市場を鎮静化してくださいよ」ということだった。

ようは、この人は自分にできないことを、欧州の当局者に強いようとしている、あるいは自分は政策責任者じゃないから高みの見物でいい加減な気持ちでホラを吹いていると思わざるを得なかった。そういう印象を持った理由は、米国の新聞ではなく、欧州系の新聞をいろいろ読んでその影響を受けていたからだろうと思う。

米国の御大がこれなら、日本のリフレ派はそりゃあもっとひどくなるはずだ。あるいは、経済学者が一般向けになんか書く時には、こんなものなんだと思った一件ではあった。

追記
ユーロ危機のときに、ユーロ債の発行が云々されていた。が、ユーロ債は法的に、政治的に、まず出せない、非現実な案として、ECBの当局者が書いたものをよむと理由をあげつつ一蹴している。

たしかに、それが有効な手なんだろうと思うし、今でもポピュリズム文脈でユーロ債を持ち出すことはないわけでもないように見えるけれども、要するにあの時、なぜユーロ債が発行できないのかを、きちんと知識として持ってもいずに、ユーロ危機を「専門家」たちは論じていたのだということが知れるわけで、そのいい加減さに呆れるよりほかない。