扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part136

リフレ派の惨状、特に消費税増税決定後、某所あたりで、


「一体、リフレ派とはなんだったのか」


と皮肉交じりで言われてるのを見るんですが、話は単純だろうと思います。リフレ派って、ようは、ポピュリズムの扇動のためのネタとしてたまたまリフレ論を利用したってだけじゃないんでしょうか。結果的にということかもしれないが、それ以上の意味があったとはちょっと思えない。


欧州もそうだし、日本もこの財政状況だから同じことなんだけれども、経済が右肩上がりのときと違って、国民に負担を求める政策がどうしても必要となった時に民主主義がうまく機能するか、という問題をどこも抱えていて、そのいい例が去年のギリシアの選挙ですよね。あるいは、欧州のある政治家が「我々は何をすればいいか知っているが、それをやったのちに選挙で勝つ方法を知らない」みたいな(うまい)ことを言ったりしています。


リフレ派も結局同じことで、まともな政治家・政党なら苦しい判断をせざるをえなかったり、違いを出そうとしてもどうしても似たりよったりにならざるをえないところ、


「こうすれば税金を上げなくても済む!国民は負担しなくてもいい!本当に悪いのはこいつらだ!」


・・・と言ってやれば、それに乗っかる人も出てくるでしょう。他のポピュリズムと同様に、リフレ派もそれ以上の意味があったとはちょっと思えないですね。


もっとも、リフレ派も最初の頃や、もうちょっとまともそうな人がいた頃はどうか知らないし、むしろその種の扇動とは距離を置きたい人たちだって少なからずいたはずだと僕も思う。


でも、結局そういう、、、いわば「まともなリフレ派」の人たちはたいていリフレ派から距離を置いてしまったようですよね。


そこで残ったのは、ポピュリズムの扇動にそのまま乗っかる、あるいは一緒に煽りにかかるという人たちだと、そういうことだったんじゃないでしょうか。


追記
だから、そこらの「普通の」人が、この種の扇動に乗ってしまうのはやむを得ないのかなぁという気はするけれども、それなりに「知的」だったり「高学歴」でまっとうな社会人だったり、あるいは大学の先生だったり、そういう人たちがこの種の扇動にうかうか乗るどころか一緒に踊る、しかも「知的」なそぶりでもっともらしい言説でデコレーションしてやりながら踊る、こりゃ何なんだと思いますよね。


本当は、まともな人たちがもっと早い段階から批判しておくべきだったんですよ、恐らくは。。。でもま、あの人たちは聞く耳持たないよな。