ネット○○派 part366 みんな他人事
○○反対運動なんかに「それは違う」と言おうとして、結局最後に来るのは、
「民主的なコントロールが利くようになっています」「国民の良識が大事です」
というところなんだけれども、まあ、反対運動をやっている人たちにはなかなかこれが分かってくれない。
・・・
別にリフレ派に限ったことではなくてごく一般的に、いわゆる日本銀行批判というのは、、、別に批判するなという意味ではなくて、いろいろ前提を置かなきゃなと思った。
日本銀行の総裁副総裁人事が国会同意人事であって、今の白川さんが総裁になるまで紆余曲折があったことは記憶にまだ新しいところだけれど、こういうのこそまさに、
「民主的なコントロールが利くようになっています」
と○○反対運動にいったときの具体例だ。
あの当時、民主党サイドが、ゼロ金利政策のせいで金利所得が減ってどうの財金分離がどうのという議論で当初の武藤総裁案を潰したわけだ。
民主党批判の一例として、こうなってみるとあの時最初から武藤さんを選んでおけばよかったんじゃないかという意見が出ているけれど、、、そしてそれは結局そういうことなんだけれども、、、一番の問題はそういう国会議員を選んでいる、主権者たる国民であってと。
今の日本銀行がああなのは、ひとえに主権者の責任重大だと認識するところからはじめないと、どうも日本銀行批判をするときのスタンスが本当に「他人事」になりやすくなりゃせんか、という気がどうもする。つまり、あいつらが悪いんであって俺は悪くない、と。
とんでもない。
日本銀行がああなのは、貴方の責任であり、あるいはまた私の責任であって、話の出発地点をそこにおかないと、どうもすっきりしないんじゃないかと思う。
・・・
震災後の議論をネット上で見ていると、はっきりいえば「所詮みんな他人事だ」という印象を強く持った。
それはたとえば「帰宅難民」ネタのお気楽さ加減、リフレ派のはしゃぎっぷり、原発論議の「ネタ」化などなど、そう、ありとあらゆるものがおしゃべりの「ネタ」に過ぎない光景で、それはつまり「みんな他人事」として話してるので「ネタ」化できてるわけだ。
あるいは逆に、過度に自分に引き付けてしまうといわゆる「放射脳」な感じになってしまう。
結局そのバランスに尽きるんでしょうけれども、、、何事かを「批判」するとたしかに「賢い俺」に見えやすいわけだけれども、しかしその前提にひとつ、大事なことがあるのではないかな、と思ったにすぎない。
(追記)
ちょっと思うところあって、Bewaadさんが日銀総裁人事が政局になった時なんて言っておられたかなあと読み返してみた。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080408/p1
そうだそうだ。白川総裁は日銀の陰謀くさいぞというネタがネットにでて、それをBewaadさんが全面否定した格好になってたんだよな。。。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080409/p1
「そのような考え方が日銀の内部に伝統的にあったことは確か」とBaatarismさんが書かれているのは高橋洋一「さらば財務省!」がソースなのですが、高橋先生がそのような存在であると日銀を認識していることと、それが客観的に妥当であることとは別の話です。
そのような考え方というのは「「日銀からの財務省出身者排除」や「日銀による国債買い入れを拒否」という主張」のことで、そのソースが高橋洋一だというわけだ。。。このおっさんはもうこの頃から他人を釣ってたわけか(呆)。
というか、リフレ派ってもうこのころから十分に変な人たちだったことに今さらながら気がつくわけで、頭髪の薄い某先生あたりが、
2008-04-08
3 次に、1の「国会対応のノウハウ」が定義され、2の武藤氏が非公式活動の中で日銀の利害にかなうblah,blah,blah行為をしていた、という前提の上です。もしこの前提でよければ、このような状況が存在するならば、まさに「陰謀」とはこのことではないだろうか、という気もします
と無茶苦茶を吹いてるわけで、すなわち国会対応などの日常の作業を「陰謀」呼ばわりする議論をすでに展開している事実。
いや、これでリフレなんてできるはずもなかったわけだし、他方で現実には「インフレ目標」(てへ)をやってんのが白川さんなんだから、リフレ派の批判は大本から間違っていたと言っていいんだと思う。