私の住んでいる地域には、引きこもりが少なくない。子供の引きこもりから、30代以上、50代の引きこもりまでさまざまだ。そうなった事情は、他人なのでどうしたって分からないが、このところ続いている引きこもり関連の事件はとても他人事とは思えない。

 

そういう自分も、今は自分なりに納得ができ幸せを感じられるようになったけれども、そうなる前は普通でない生活を送っていたわけで、どうしても自分の問題に引き付けて考えてしまう。

 

気になったのは、元事務次官が40代の息子を殺害した件で、父親の行為を容認、あるいは称賛する気配が世間にあることで、これは大いに注意した方が良いと思っている。

 

私の身近にいる引きこもりの子供たちを見ていて、父親の気持ちはむしろ分からないでもないし、具体的な本当の事情はまだ一切出てきておらず、たぶん今後も出てくることはないし出てきても私がついていけないので、本当のことは一切分からないが、その上で、報道によるとこの父親が、

 

「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」

 

と言っているらしいのは、非常に危ない。

 

直前に中年の引きこもりによる連続殺人事件があったために、余計にこの気分が共有されて父親が責任を果たしたかのように受け止められている空気がある。

 

しかし、周囲に「迷惑」をかけてはいけないので予防的に殺したという理屈が認められるのであれば、相当数の人間の生命が危うくなるはずであり(無論、親が子を殺すパターンだけではなく、その逆のパターンもありうるし、引きこもり関連に限らない)、これが認められるのであれば私だって殺したい奴はいる。そもそも、予防的に殺していい引きこもりの基準はなんだろうか。

 

つまり、この父親が「息子は周囲に『迷惑』をかけるに違いない」と勝手に思い込み、決めつけて殺害に及んでいるように見えてしまうわけで、この理屈はさすがに私には受け入れられない。

 

むしろ、そういう決めつけを子供に対して大昔からやっていることが問題で、だから老年になって抑制が効かなくなってしまった時にこういうことになったのではないか、とすら私は思う。

 

・・・

 

周囲を見回して、引きこもりの問題は非常に難しくて、答えが出ないし、私には子供がいないので、何も言えない。こうすればこうなるとかいうことも言えないはずで、基本的にはケースバイケースだろう。上に書いたことも、あくまでも伝えられる範囲内で、これはちょっとと思われる空気について警戒したのみであって、それ以上のことは書く気もない。

 

ただ、私自身のできる範囲でできることはやりたい。私には、たまたま正面からぶつかってくれる人がいて、それがとっかかりになった。子供は真面目に向き合うと受け止めてくれる。それは子供だけの話ではないはずだ。

 

そして、困ったときには周囲の助けを借りたほうがよい。昔と異なり、カウンセリングや行政による仕掛けなどもあるはずだ。引きこもりの問題は、家族だけで抱え込むにはあまりにも複雑で、重い問題だろう。

森友でも加計でもそうだが、首相あるいは首相夫人と知り合いだとああいう優遇が受けられるということに、普段から苦しい状況を書き連ねている大学の先生たちがたいして怒らなかった。これが私には随分不思議で、いまでもよく分からない。

 

たしか、大学の先生の発表で、首相夫人に頼んだらすぐに予算が付いた、みたいな動画が出てきたように記憶するが、あれを見て、心中、穏やかならざる人は結構いたのではないかと思う。それでも、そこから大きく話が広がったわけではなかった。

 

どういうことなのだろうか。

 

同じ問題だと思うが、文部科学省の元の事務次官何某をいろいろ批判する大学の教員は少なくないようで、私もその言いたいところは理解できるが、しかし現在の教育行政の責任は現在の内閣にあるはずだ。元の事務次官に対するのと同じ熱意でもって、現在の内閣を批判しているようには私には見えなかったりする。

 

どういうことなのだろうか。

 

想像できる理由はだいたいあるわけだけれども、一言で言えば、

 

「根性なし」

 

としか言いようがないと思うし、そのようにしか見えない。

ネットには大学の先生が多いので、いろいろな不満をよく見る。資金が足りない、雑務のために時間がないなどなど、非常にお気の毒だと私も思う。

 

ただ他方で、「あんたがた、誰のおかげでおまんまが食えてんのか」と思わないでもない。もちろん、一概には言えないにせよ。

 

今は、中学校レベルの勉強がまともにできない子供が大学生になれてしまう時代だ。彼らは本当であれば、大学生になってはいけないはずである。

 

にもかかわらず、大学生になれるのは、ひとえに「大人の事情」であって、大学経営上、そういう学生を受け入れないとビジネスにならないから、以外の理由はないだろう。 

 

それで本当にいいのだろうか。

 

本当は大学生になってはいけない子供を無理に大学生にしてまで、職員教員を養ってるわけで、そこまでしてもらって不満があるか、などとどうしても思ってしまう。

 

しかも、国公立はもちろん、私立大学にも公金が入るし、また首相やその夫人とお友達であれば相応の優遇を受けるわけで、これらはすべて「大人の事情」、至ってビジネス上・経営上の都合でしかなく、肝心の学生たちは全く置いてけ堀、いいところ、大人たちの飯の種のための、良いカモである以外の意味が見出だしにくい。

 

さらに、上の議論を延長すると、大学の環境改善のためには、誰かが切られないといけない形になっていて、大学の先生たちが一致結束して抵抗することは不可能だ。しかし、そういう厳しい議論は出てこない。

 

無茶な難癖だとは自分でも思うんだけれども。。。

 

ネットを見ているといろいろ思うことがあって、最近では小中学校の教員に応募する人が減っており、一定の質を維持できなくなるのではないか、という話があった。

 

その話自体はなるほどということだが、しかし他方で、やはりそれはどうなのかと思うことがある。

 

というのも、私の住んでいる地域では、学校の先生には部落の人がなりやすいものと相場が決まっている。私の知っている女子大生も、両親がそういう地域の人で学校の先生であり、本人も小学校の先生になりたいと言っていた。たぶん、親のコネで学校の先生だったらなりやすいということを本人も知っているのだろう。

 

私はアファーマティブ・アクションがあっていいと考えているので、こういう優遇自体が良くないとは思わないが、それも程度問題ではないか。

 

部落の人といってもいろいろで、本当に常識的で普通の人もいれば、とんでもない人もいる。

 

これ以上、書くと部落差別と受け取られかねないのでやめておくが、しかしああいう優遇をしていて、つまり教員としてふさわしいのかどうかよく分からない人が、アファーマティブ・アクションで教員になっていて、本当にいいのかねと思うことが、ないわけではない。

 

そういうわけで、教員に応募する人が減ったのは問題だとニュースで聞いても、そりゃそうだろうとしか思えなかった。だって、ねぇ。。。

 

外務省での小和田雅子については、全くのお客様状態でドアも自分であけない、などという話が20年以上前から小和田恒にきわめて近い筋から漏れ伝わっており、はっきり言えば嫌われていたようだ。ただし、妬まれていた可能性はもちろんある。

 

また、ネットでは雅子皇后の学歴に嘆賞するものを見かけたが、同じ筋からは、コネで学歴経歴をつないできた話も出ている。しかし、これは父親が父親だけに、どこにでもある話であり、かつどんなにコネがあっても本人がアホなら成蹊どまりという実例もあるところだ。(前の天皇学習院を実質中退しているわけで、昔のプロフェッサーたちは偉かった)

 

もっとも、どこまで本人の実力かについては注意をする必要があるのも当然で、これは本人が論文を書いていたのかの確認も含まれる。(ごくごく一般的にいえば、本人が書いているわけがない)

 

無論、小和田恒が娘を皇太子と結婚させるために、どういう無茶なねじ込み方をしたか、孫が男児でなかったために何をしたかという話まで漏れてくるわけだ。

 

また皇太子妃時代の「病気」についても、そもそもそんな病気はない、という話もあって、専門家ならざる私には判断できないわけだが、しかし皇后になったら仕事ができるようになるんですかと白けた感じはしている。

 

私はイタリアの共和政を見ていて、どんなにクチャクチャでも天皇制よりこっちの方がいいと考えている人間だが、最近の日本の空気のなかでは、冷たい話も書いておきたくなる。

 

 

 

私が前から随分おかしいと思っているのは、秋篠宮家についての一連の報道についてだ。この1月ごろ、電車で雑誌の広告を見ていて、あまりにもおかしいと思わざるを得なかった。

 

というのも、雅子妃の話が表に出てきているように見えなかったからだ。

 

私は必ずしも皇室を追っかけているわけでもないし、熱心に支持しているわけでもない。だから、平らに見るしかないのだが、常識的に考えて「病気」とされていた雅子妃に本当に皇后が務まるのかという問題が大きくなるのが当然だろう、と思うのだが、現実は全くそうならず、秋篠宮家のお嬢様の話や内情の話などで全く持ち切りで、かつその結論は「だから秋篠宮家はダメ」ということになったのが、どう考えても不可解である。

 

公務が務まらない皇太子妃の代役を、いったい誰が務めていたのだろうか。

 

にもかかわらず、どうして践祚の直前の時期に、秋篠宮家に対するネガティブキャンペーンがあれだけ繰り広げられていたのか、私には全く理解できない。

 

では雅子妃はどういう人なのか、直接の面識が全くないから話に聞くしかないわけだが、非常に優秀だという話もあるし、そうではないという話も私は聞いている。

 

特に、外務省への入省の経緯と省内での評価は実際のところどうだったのか、きっちり検証されるべきだと思うが、もちろん今は無理にしても、後世、そういう検証が可能になるかどうか。

 

践祚の前後に、海外紙がEmpressについての記事を出してきたのも気になった。見出ししか見てないが、好意的な記事が多そうだった。知らないうちに、雅子妃が「病気」から復活したことになっていたりする。本当なのだろうか。あるいは、そんなに簡単なものなのだろうか。

 

私は、こういう状況は大変におかしい、変だと思っている。

 

今の皇后に直接の罪はないのかもしれないが、背後で疑われる人物としては一人しかいない。しかし、根拠も何もないのでこれ以上は書かない。また検証のしようもない。

 

結論としては、だからこういう王制の運用はよくないわ、ということに尽きる。あるいは、王制の悪いところしか見えてこない、と言ってもいい。

お父さんが政治家だから、コネで田舎の医科大学に行き、

 

国家試験は実力で突破していると思いたいが(昔のことだからそれも怪しいような気もする)、

 

お父さんが政治家だから、旧帝に就職して、

 

お父さんが政治家だから、留学して、留学したから教授になれて、

 

お父さんが政治家だから、政治家とコネクションができて、

 

お父さんが政治家だから、選挙に勝ってしまう。

 

ひどい場面を見てしまった。本人の演説も、素人だから仕方がないという以上に、知性を感じないレベルだった。こんなことでいいわけがない。

 

当人、どういうつもりで生きているのだろうか。私にはよく分からない。

 

もっとも、対立候補も人望のなさが際立っていたのだが。